幼い頃からテレビと映画が大好きで、『太陽にほえろ!』『俺たちの旅』などに強く影響を受けた高橋。高校卒業後、予備校に通うため新潟から上京したものの、勉強そっちのけで日本映画の世界へとはまっていく。
「『ぴあ』を片手に浅草や新宿、飯田橋、横浜へ、365日映画館に行っていました。『仁義なき戦い』の一挙上映とかね、もう昭和30年代のものから手当たり次第観まくってましたね」
やがて青年は、自らも役者の道を志し、オーディションを受け始める。
「でも、売れたいとか早く世に出たいと思っていたのは、20代の前半ぐらいまで。26歳で演劇を始めてからは、舞台のほうがテレビに出るよりも、かっこいいと思うようになっていた。まあ、それは売れないひがみに取られることも多かったんですけど(笑い)」
劇団で活動を続けながら、高橋は自らもプロデュース公演を企画するなど、舞台での経験を重ねていった。もっとも役者で暮らしが成り立つはずもなく、舞台がない日は、すべてアルバイトに費された。ディスコの黒服、建設現場の作業員、駐車場の案内係、看板立てと様々な職種を経験した。
転機となったのは、ドラマ『ショムニ』(フジテレビ系)シリーズへの出演だ。寺崎人事部長役で、初めて世に知られるようになるのだ。もっとも、高橋がアルバイトを完全にやめたのは、38歳のとき。その後、2002年に八嶋智人とともに『トリビアの泉』(フジテレビ系)の司会者に抜擢されると、その名は一気に浸透していく。
遅咲きの人生ゆえか、高橋はいたって謙虚で、鷹揚だ。画面で見るままの「人のいいおじさん」なのだ。