◆生殺与奪を握る
「今の安倍政権で起きていることは、1997年の橋本龍太郎内閣時代の行革にすべての源流があります」
そう指摘するのは、昨年2月以降、旧民主党で森友学園問題を追及してきた福島伸享である。経産省(旧・通産省)出身の福島は後に内閣官房参事官補佐まで務め、官邸と官僚のあり様について身をもって知る人物だ。
「もとはといえば、旧通産省の大臣官房にあった政策実施体制審議室なる怪しげな部署に、橋本行革チームのメンバーが集められたのが始まりでした。そこに1980年代に入省した通産省選りすぐりの役人が集まっていて、私はその中でいちばんの若手で、末席に座っていました。チームリーダーが今の岡山県美作市長の萩原誠司さんで1980年入省、その下に1982年入省の今井尚哉さん、1984年入省の柳瀬唯夫(現・経産省審議官)さんもいました。
将来、省を背負って立つ企画官や課長補佐クラスが集まるその部屋で濃密な時間を過ごしました。省益優先の縦割り行政打破という旗を掲げ、役所の仕事をやるのは省務官僚、国の仕事をするのが国務官僚だと呼んで、一元化して人事を決めていく仕組みを練っていきました」
目下、首相の筆頭政務秘書官である今井や加計学園担当の首相秘書官になった柳瀬など、奇しくも第二次安倍政権の布陣が顔を揃える。当時は首相の政務秘書官だった通産省出身の江田憲司が中心となり、官邸の体制づくりを進めていったという。まさに内閣人事局構想の原点がここにある。
ちなみに企画官とは課長と課長補佐のあいだの室長級で、最も忙しく業務をこなすポジションだ。現在、当の内閣人事局の企画官を務める辻恭介はこう振り返った。