◆韓国独裁政権に加担した
本誌SAPIO前号で述べた通り、1979年に朴正熙大統領暗殺事件によってKCIAが影響力を失うと、軍の情報機関ポアンサが対日工作を担うようになる。日本での人脈に乏しかったポアンサは柳川を頼り、柳川はポアンサの駐日代表と称されるほどの実力者となっていく。
当時をよく知るポアンサの元幹部にソウルで会うことができた。
「フェジャンを我々が運用して問題ないか審査したことがある」
柳川をフェジャン(=会長)と呼ぶ元幹部は、密かに柳川の資格審査をしていたと明かした。
「金浦空港のポアンサの出先で出入国者を監視していると、彼はいつも大勢を引き連れて日韓を行き来していた。興味を持ったが、KCIAが使っていた彼について、詳しい情報を持っていなかった。そこで生い立ちに始まり徹底的に調べ直した。ヤクザの過去は問題ない。むしろ愛国心を持っているかどうか。審査の結果、十分に愛国者たり得ると判断した」
元幹部はすでに高齢だが、記憶は鮮明だった。日本で取材した関係者の多くが柳川を「伝説上の人物」として讃えるのに対し、この男が柳川の限界を冷徹に指摘してみせたことが興味深かった。