「フェジャンの周辺には参謀と呼べるような者が少ない。日本での情報収集は、我々が求める専門的なレベルのものまでは期待できないことが次第に分かってきた。彼の腹心の中には、怪文書の域を出ないような資料を持ってくる者までいて、我々も惑わされた」
北の工作員の摘発を任務とする韓国のKCIAは、1971年に北のスパイ団として在日の留学生ら20人以上を摘発。リーダーとされた人物は工作船に乗って北朝鮮に渡り訓練を受けたことを公判中に認めた。一方で、拷問による虚偽の自白に基づいた捏造だったとして再審で無罪判決を得た者もいる。情報機関によって事件が「作られる」ことも少なくなかったのだ。
その実態を暴露したのが、在日の作家・金丙鎮だ。1983年に留学先の韓国でポアンサによって北のスパイとの容疑で拘束されながら、その後、通訳としてポアンサに勤務するという数奇な経験をした。1986年に大阪に戻るとその体験を『保安司─韓国国軍保安司令部での体験』として綴った。
同書にたびたび登場するのが、柳川とその腹心で右翼団体「亜細亜民族同盟」会長の佐野一郎だ。例えば、ある在日の元留学生に関する捜査の関係者として浮上したO氏なる人物について柳川らがポアンサに通報する経緯が出てくる。
実際にはO氏は、スパイと疑われた元留学生の勤め先の経営者に過ぎなかった。だが、O氏と北朝鮮との関係を指摘する柳川らの通報が決め手となり、この在日の元留学生は逮捕されてしまう。その通報たるやひどい代物だったという。
〈梁会長(梁元錫のことを保安司令部ではこう呼んでいる)の率いる右翼団体、亜細亜民族同盟とか個人としての協助網から送られてくる日本語の「資料」は、(中略)誤字脱字が目立ち、なにが主語でなにが述語なのかもわからないありさまだった。そして結局、これら「資料」の言っていることが私には理解できなかった。おぼろげに浮かぶ言いたいことの中身も、たいしたことではなかった。韓国国軍保安司令部への忠誠を表すためにだけ作成され、送られているのに違いなかった〉