戦後も中国に残った父は最後のサムライとも呼ばれました。サムライが持つべき主君への忠誠心をそうやって培っていったのです。
22歳のときに応召して中国大陸の戦場に向かった父は、翌年陸軍の憲兵試験に合格しました。その後、上海出身の母と結婚し、スパイとして中国の諜報活動や、現地の貨幣市場の混乱を狙った紙幣偽造などに従事しました。
そして8月15日。敗戦後に上官が父に発した「上海で任務を続行せよ」との命。その命令が父と私たち家族の運命を大きく変えました。
◆10cm縮んだ父の身長
中国人の尤志遠と名乗った父は、母との間に3男1女をもうけていました。子ども連れならスパイと疑われにくい。いま思い出すと私たちと出かけた先で、協力者と思しき人物と接触する父の姿を覚えています。
けれど共産党政権になると反革命分子への風当たりが強くなりました。父は中国の公安警察に尾行されていると気づき、こんな懸念を持ったそうです。単なる戦争犯罪者ならすぐに逮捕するはずだ。でも泳がせて尾行を続けるのは、戦後もスパイを続けている疑惑を持ち、協力者も一網打尽にするつもりなのだろう、と。
潜伏生活13年後の1958年。父はついに逮捕されてしまいました。私たちが暮らした家も捜索されましたが、証拠は何一つ出てきませんでした。父は必要な情報はすべて記憶に刻み込み、メモなどは残していませんでした。日本との連絡が断たれたあとも憲兵学校で学んだ工作員の基本を忠実に守っていたのです。