◆警察の捜索部隊を率いて遭難者を捜した
しかし、別の近所の住民はこう語る。
「春さんは引退してからボランティアを始めたんじゃありません。魚春の頃から、近所にスズメバチの巣ができると率先して取り除き、通学路にマムシが出ると聞くと、“子供たちが危ない”と毎年、草を刈っていた。根っからの“善意の人”なんです」
40才頃から趣味で山登りを始めた。58才で北アルプス55山を単独縦走。地元の由布岳では、「何度も登っている山へ恩返しがしたい」と登山道整備のボランティアを始めた。週に2回、40kgの道具を背負い、崩れかかった路肩を修理し、案内板を設置した。
「魚春の魚が入っていた箱を解体して、由布岳の遊歩道にあるベンチの修理に使っていました」(前出・別の住民)
2014年、環境相から地域環境美化功労者として表彰された。
全国各地へとボランティアに出向くようになったきっかけは2004年、64才のときに起きた新潟県中越地震だ。
体力は人並み外れている。66才のとき、「生まれた日本を歩き、体力を試したかった」と考えていた尾畠さんは、徒歩で日本を縦断。無人駅やテントに泊まり、九州最南端からたった3か月で北海道の稚内市にたどり着いた。74才のときにも本州を徒歩で1周。現在も1日8kmを歩く。
「野菜は虫食いのある自然なものしか食べません。庭で作ったものとか。あとは、体にいいというから、パックで甘酒を買って飲んでいます」
東日本大震災でも現場へ急行。大分県と宮城県南三陸町を行き来し、計500日という長期にわたり支援した。とくに津波で流された写真や思い出の品などを収集、洗浄する「思い出探し隊」隊長として尽力した。
豊富なのが行方不明者の捜索経験だ。今回の理稀ちゃんのケースのように、遭難者の特性を見極めて、居場所を絞り込んでいく。長年の整備活動で山を知り尽くしているため、地元・大分では要請を受け、警察の部隊を率いて捜索に当たったこともあるという。
※女性セブン2018年9月6日号