鮮魚列車を優先させれば、旅客輸送に支障をきたす。だからと言って、鮮度が命の水産物は到着時刻を遅らせることができない。その板挟みになる鮮魚列車のダイヤグラムの作成は、ベテランでなければできないとされた。
1960年代に入ると、物流の主役はトラック輸送へとシフトしていく。国鉄は貨物需要を奪われまいと、対抗策として1966年に鮮魚専用高速冷蔵貨車”レサ10000形”を導入。レサ10000形は最高時速100キロメートルを誇る貨物列車で、水産物を全国各地から築地市場へと運んだ。しかし、国鉄の対抗策もむなしく、築地市場線は1984年に廃止。鮮魚専用高速冷蔵車は、トラック輸送に勝てなかった。
実は、この頃より築地市場の老朽化が目立つようになり、またキャパシティも限界に近づいていたこともあって築地市場の拡張もしくは移転が検討され始める。
東京都は、1989年に築地市場を補う大田市場を建設。大田市場の用地面積は、築地市場の2倍。当初、築地市場の3分の1を大田市場に移転させる予定にしていたが、思うように移転は進まなかった。
大田市場の開場後も、築地市場は移転問題が燻ったままになっていた。鈴木俊一都知事(当時)は、老朽化した築地市場を同じ場所で建て替える築地新市場計画を策定。築地新市場計画はバブル期に策定されたこともあり、総工費2380億円もの巨大プロジェクトだった。そして、1991年に着工。しかし、地価が高騰していたこともあり、総工費は当初の予定から1000億円以上も膨れ上がり、計画は頓挫した。
卸売市場の外側に形成されている築地場外市場商店街、通称・場外市場(場外)も築地の発展に大きく貢献してきた。場外の存在を抜きに、築地市場を語ることはできない。
場外は卸売市場法が適用される市場ではなく、平たく言ってしまえば街にある商店街ということになる。ただ、築地市場に隣接しているので、場外の店はプロ仕様の品揃えで一般客向けではない。また、驚くほど朝早くから営業し、昼過ぎには次々に閉店する。まさに、場外は築地市場御用達の商店街といえる。
近年では、築地駅の近くにファミリーレストランやコンビニ、チェーン系のカフェなどがオープンし、以前に比べれば場外も標準化しつつある。
築地新市場計画は頓挫したものの、卸売市場の老朽化対策は避けて通れない話だ。そうしたことから、石原慎太郎都知事(当時)は市場を豊洲に移転させようと用地買収に動き出した。
石原都知事によって、築地市場の移転準備は着々と進められた。その後任である猪瀬直樹都知事、さらに舛添要一都知事も市場の移転に取り組んだ。石原都政で既定路線になった築地市場の移転は、もはや覆せない決定事項だった。
しかし、豊洲新市場の土壌汚染対策不備などが明るみに出て、小池百合子都知事は移転を凍結。その後、移転準備は再開される。現在、築地市場は2018年10月6日に閉場し、豊洲市場は10月11日に開場する予定とされている。