ヤクザも恐れる乱暴者で、今なお町の不良が一目置く登さんは店主のおばあさんと二人暮らし。毎日彼女に薄味の食事を作ってやる彼は、17歳で彼を生んだ母が出奔し、祖母に引き取られた過去を持つ。
今でこそ補助教材も多数あるディスレクシアだが、80年代当時は学習障害という存在自体がほぼ知られておらず、周囲の無理解から非行に走った彼も、元々は大の本好きだった。おばあさんは自分が読み聞かせる絵本から物語を次々に生み出す孫を〈並みじゃない〉と自慢。女性にもモテる登さんは、よく近所のスナックで女性をナンパしては本を朗読させていたが、漢字もろくに読めない女たちに辟易とし、一真に目を付けたらしい。
やがてたぐちの2階は、一真が図書館で借りてきた本を朗読し、登さんが適宜疑問点を指摘する場と化し、一真の母が当直の日は一緒に夕食を囲むことも。漱石や筒井康隆、ヘミングウェイ等々、彼らが読み、真似、その構造を生かそうとする本はどれも一級品で、引用文を読むだけでも楽しいが、特に二人が心ひかれたのが『ライ麦畑でつかまえて』だ。
登さんは主人公の孤高の青春にしばし没頭した後、〈一真〉〈インチキじゃねえ小説、書こうぜ〉といい、その真意が一真にも一言でわかった。〈ホールデンにとって、世の中の大半のものごとは耐えがたい〉〈反対に、ホールデンがインチキでないと見なしたものには、ひっそりと光を放つ鉱物のような美しさがあった〉……。こうして〈インチキじゃない〉、本物の小説を書くことが、二人の目標となる。
◆作中作は挫折した長編の構想を使用