その後、砂田さんは、東京音楽祭やベストテン番組などを次々と仕掛け、成功させていく。東京音楽祭では、フランク・シナトラ、サミー・デイビス・ジュニア、シャーリー・バッシーなど世界的なミュージシャンを呼んだ。彼は、適当にお茶を濁さない。どうせやるなら、できるだけ最高のものを作り上げようと情熱を燃やしていた。
なぜ、テレビの世界に入ったのですか、とぼくは尋ねた。
「管理されるのが嫌だったんです」と砂田さんは言う。
「最初からぼくはサラリーマンにはなりたくなかったのです。父親が東芝という大企業に勤めていましたが、その姿を見て性に合わないと思っていました」
でも、テレビ局勤務も、結局はサラリーマンですよね、とぼくは少し意地悪な質問をした。
「テレビ放送が始まったばかりで、上司になる人間も新聞やラジオから来た人たちですから、すべて現場任せだろうと思いまして。実際、たしかにそうでした」
今の常識ではちょっと驚いてしまうのだが、砂田さんはTBSの社員でありながら、他局の番組の脚本も書いていた。たとえば、ハナ肇とクレージーキャッツがレギュラーを務めていたフジテレビの「おとなの漫画」。永六輔や前田武彦らもかかわっていた伝説的な番組だ。
◆「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」はレジスタンスか