「僕は〈人間あるところに人形あり、人形あるところに人間あり〉というバカげた宣言で講義を始めます。それは人を模していない机でもタイヤでも、それを何かに見立てた瞬間に人形は発生するから。人形は身近な存在だと思うんです。
一方で顔がないと人形とは思えないという学生がいたり、人によって感じ方が全然違うんです。実際の講義でも、巨大なタイヤが主人公としてひたすら転がる映画『ラバー』になぜ人は共感し、『トイ・ストーリー』の玩具はなぜ喋るところを人に見られてはいけないかを作品分析的に考えていくのですが、答えは各自違っていい。僕としてはそうした広義の人形と自分との関係を、考えてほしいので」
確かに誰もが人形やぬいぐるみに愛着を抱いた経験を持ちながら、なぜそれを捨てることが=成長なのか、明確に答えられる人はそう多くない。大学生になった主人公アンディが玩具との物理的な別離を経てより成熟した関係性を獲得する『トイ・ストーリー3』や、第一次大戦で戦地に赴いた作家が「何もしない時間」のかけがえのなさを息子のために物語化した『くまのプーさん』にしろ、人形=自分と他者の〈中間領域〉に関して多くの知見をもたらすメディアだという視点を持つことで、全く違う光彩を放ち始めるから面白い。
「受講生には球体関節人形が好きな子もいます。無機物への性的嗜好を意味するピグマリオニズムを人形愛と翻訳し、全く新しい人形観を構築した澁澤の仕事は確かに凄いと思う。でもここまで人形と多様な関係を築く人がいる以上、もっと広くカバーしないともったいないし、それも一つの文化だと僕は思うので」
◆着ぐるみ内に人間がいてこその妙味