◆「自分でも分からない。とにかく勝ちたかった……」

 2016年のリオ五輪への出場がかなわず、一時は引退していたベテランの鈴木は、なぜこのような行為に手を染めたのか。まずは事件の経緯を辿りたい。

 2017年9月に石川県小松市で開催されたカヌースプリント日本選手権において、日本代表候補の鈴木は、あらかじめ海外から入手していた筋肉増強剤「メタンジエノン」をライバル選手である小松正治(26)のドリンクボトルに混入。それを口にした小松はレース後の検査で陽性反応を示し、ドーピング違反に問われて一時、資格停止処分となった。

 しばらく沈黙していた鈴木だが、良心の呵責から日本カヌー連盟の専務理事に自らの行為を告白。さらに約8年前から、ライバル選手たちの競技中に使用するパドルやGPSを盗んだり、壊したりするような悪質な嫌がらせ行為をはたらいていた事実も打ち明けた。

 2018年7月に石川県警は偽計業務妨害で書類送検し、10月に不起訴処分が決まった。鈴木は日本カヌー連盟を除名という、事実上の永久追放となった。

 引き起こした事件の内容を夫から告白された2017年11月、綾香さんはとても信じられなかったという。

「アスリートはみんな、何かを犠牲にして生活しています。お酒だったり、タバコだったり、それこそ、家族だったり。選手としてやってはいけない最低限のことがあるはずなのに、ああいった事件を起こしてしまった。いったいどうしちゃったの? というのが、私の気持ちでした」

 リオ五輪出場がかなわず、鈴木は引退して綾香さんの父の会社で働いていた。しかし、現役の頃に比べて鈴木の口数は少なくなり、仕事から帰ってくると自宅周辺をよく走りにでかけていた。

 まだカヌーをやりたいんだろうな──。綾香さんは夫の態度から、そう感じとっていた。綾香さんの元には、鈴木の競技復帰を期待する指導者の声も届いていた。しかし、本人自ら現役復帰を口にすることはなかった。

 見かねた綾香さんが実父に相談し、就職先が所属企業として競技復帰を後押しすることで、鈴木はようやくカヌー界に戻ることになった。その矢先の事件だったのである。

 事件が報道されると、綾香さんの父や綾香さんにも、批判の声は集まった。

「主人はプレッシャーに弱いのかもしれません。私は主人に対して、『オリンピックに連れて行ってね』とか、『頑張りなよ』って声をかけていました。主人をオリンピックに行かせたいからこそ、一生懸命応援するだけでなく、同じカヌー選手としてアドバイスもしていました。そうした私の態度が、本人にとってはプレッシャーになっていたのかな」

 家族会議の中で、綾香さんは鈴木に「ごめんね」と謝った。本人は「そういうことじゃない」と口ごもった。

 それなら、どうして──。そういう綾香さんの問いに対して、鈴木はこんな言葉を口にした。

「自分でも分からない。とにかく、勝ちたかった……」

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