平成は音でも文字の形でも「平城」に通じる。平城天皇は桓武天皇の皇子。皇位を降りた後、藤原仲成・薬子兄妹を側近として取り立て、弟の嵯峨天皇と争った。政争は嵯峨天皇に軍配が挙がり、仲成は射殺され、薬子は服毒自殺、平城上皇は仏門に入った(薬子の乱)。こののち皇位は嵯峨天皇の系統で受け継がれていき、上皇の血筋は伝わらなかった。貴族たちはこうしたことを嫌う。だから「平成」が元号になる可能性は明治以前ならほぼゼロである。
だが、時代は変わった。元号は天皇お一人につき一つとなった。そうした因習にとらわれる必要はない。新しい時代には新しい元号がふさわしい。この観点からも、次なる元号の発表が待ち遠しい。
【プロフィール】ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当。近著に『戦国夜話』『上皇の日本史』『軍事の日本史』など。様々なドラマ、アニメ、コミックなどの時代考証にもかかわる。
※週刊ポスト2019年1月1・4日号