最初は天気予報と外回りリポートを担当したのですが、そこで待っていたのは、“無茶ぶり”の日々。ジェットコースターに乗せられ、着ぐるみを着せられ、アオダイショウを首に巻いたこともありました。
日焼けして真っ黒になった自分を見て「大丈夫かな、私」と思わないでもなかったかな。その後しばらくはスポーツ担当でした。
◆久米氏からダメ出しの嵐
1985年に入り、局をあげて新しい報道番組を作る動きが本格化していくわけですが、久米さん以外のキャストは公募制で、会社員、大学生を含めて数千人の候補者が集まっていたそうです。
当時の私はワイドショー番組で現場を駆けずり回っていましたから、「予算がある報道番組はいいですねぇ」と冷ややかに眺めていたものです。
ところが突然、私にお声がかかりましてね。今もって、なぜ自分が『ニュースステーション』に選ばれたのかわかりません。
右も左もわからぬまま、その年の10月に番組がスタートします。当初、私は報道スタジオという別の場所でニュースを読み、久米さんたちがメインのスタジオで進行するという形でした。
で、さっそく私のニュース読みに久米さんから注意が入るわけです。「声が高すぎる」「トーンを下げろ」と。VTRを観ると、確かに私の声はトーンが高かった。アメリカの報道番組では女性キャスターが声を低めにしています。これは喋る側の説得力を視聴者に与えるためです。