「せっかく3年間をここで過ごしたんやから、もう3年間、明徳で過ごして花を咲かせたらどうや、という話はしました。でも、『よその方が強いから』と言われたら、こちらは何も言いようがない。親御さんの意向もある。隣の芝は青く見えるんやろうね……」
もちろん、進学先の選択は選手の自由であり、勧誘も各校の自由競争だ。だが、将来有望な2選手の転出は、チームメイトにも動揺を与える。明徳を離れる球児が続出し、最終的にその数は10人ほどにのぼったという。球児に振られた形になった馬淵監督のショックも大きい。
「彼らの大半は高校でレギュラーになることは難しかったかもしれない。2人がいないなら、明徳で野球を続けても面白くないと思ったんかな……それはわしにもわからない」
馬淵監督の実績は疑うべくもない。2002年には夏の甲子園で初めて全国制覇を遂げ、2011年の春のセンバツで日大三高(東京)に負けるまで甲子園で20大会連続初戦勝利という驚異の記録も保持している。
一時こそ“5連続敬遠”の影響でファンからも敬遠されてしまった感のある馬淵監督だが、今なおマスコミからの人気は絶大だ。勝っても負けても歯に衣着せぬ物言いで試合を論じ、記者はまるで坊主の説法を聞いているような感覚に陥る。そして、取材が終了すると、必ず最後に「帰って練習します」と口にし、甲子園を後にする。
そんな馬淵監督率いる明徳義塾も、近年は初戦で敗れることもあり、甲子園制覇も一度きり。日本一を目指すだけでなく、プロ野球選手を現実的な目標に据える有望中学生たちは、大阪桐蔭を筆頭に、横浜、愛知の名門私立などに集まる印象がある。そもそも高知駅から1時間弱もかかる人里離れた谷深い狭い空間で、野球漬けの日々を送ること自体、現代の球児から敬遠される要素となっているのかもしれない。