翌24日、ナイターの阪神戦で3番・中畑、4番・スミス、5番・クロマティ、6番・原の打順が組まれた。すると、原はタイムリーを含む2安打と結果を残す。原と同じく不振に苦しんでいたクロマティが5号ソロを含む猛打賞とハッスルし、江川の完封で阪神を4対0で破った。原はこうコメントしていた。
〈打順は気にしてなかった。チームのムードがよかったし、久びさにうまく低めのボールを打つことが出来たよ〉(日刊スポーツ・1984年5月25日付)
この日のテレビ中継は視聴率30.4%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)だった。最近の視聴率事情を考えると、2018年に視聴率30%を超えた番組はサッカーW杯とNHK紅白歌合戦、オリンピックしかない。1984年の巨人戦ナイター中継の年間平均視聴率は25.6%。毎試合のように、現代のオリンピック並みに注目されていたのだ。
この後も、原は完全復調とならず、何度か4番に復帰したが、定着には至らなかった。それでも、常人には想像し難いプレッシャーの中、130試合にフル出場し、2割7分8厘、27本塁打、81打点という成績を残した。悪い数字とも思えないが、巨人を9連覇に導いた主軸の王貞治、長嶋茂雄の後釜である原辰徳への期待は高く、チームも3位に沈んだため、優勝を逃した戦犯扱いされた。
〈昨年は江川とともに、優勝を逸した原因は原にありといわれた〉(’85プロ野球12球団全選手百科名鑑・1985年3月31日発行)
〈昨年巨人がペナントを逸した“A級戦犯”といわれ、4番打者の座を転がり落ちた〉(GORO ・1985年2月28日号)