打てない原に、辛辣な見出しが躍る。専門誌である『週刊ベースボール』は映画『E.T.』になぞって、不調の江川卓をE、原をTとして批評。2人合わせて年俸8740万円(推定)の価値に疑問を呈した。
〈巨人のETは8740万円のムダ使いだ! 肩身が狭い? いま、江川と原に注がれる厳しい眼〉(週刊ベースボール1984年5月28日号)
◆打順降格を告げられ「四番を取り戻すつもりで…」
5月23日、王監督がついに4番からの降格を決断する。原は入団1年目、1981年10月5日のヤクルト戦以来となる6番に据えられた。
結局その試合は、午後6時20分に雨のため試合中止となったが、翌日の新聞紙上では大きく取り上げられた。王監督は意図をこう話していた。
〈あまりにも頭がこんがらっているようだから、六番で気楽に打たせようということです〉〈巨人の四番というのはものすごい重圧がある。ダメな時にはもっとすごい。原ももがき苦しんでいたと思う〉(スポーツニッポン・1984年5月24日付)
原はそこまでの直近10試合で40打数7安打、打率1割7分5厘、本塁打0、打点3と精彩を欠いており、得点圏では開幕から44打数10安打、打率2割2分7厘でホームランなし。これでは6番降格もやむを得なかった。本人はこう受け止めていた。
〈自分のことを思ってやってくれたことでありがたい。四番を取り戻すつもりで、細かいことを考えず、もう一度やりたい〉(スポーツニッポン・1984年5月24日付)