森進一との結婚式で披露した「ユキトリヰ」のウエディングドレス姿(共同通信社)
「そもそも麗子さんが子供を欲しがったことはありませんでした。その理由は彼女の家族にあります。彼女は暴力的で浮気を繰り返していた父親との確執が大きく、“家族”によいイメージを持っていなかった。だからこそ家庭より仕事にこだわったんです。
森さんとの子供を中絶したことの根の部分には、家族に対する不信感もあったのではないでしょうか」
晩年、ギラン・バレー症候群や乳がん、うつ病に苦しんだという大原さんは、2009年8月6日に東京・世田谷区内の自宅で遺体となって見つかった。不整脈による脳内出血ですでに死後3日経過しており「孤独死」と騒がれた。
公には彼女は、大原家の菩提寺である本覚山妙壽寺の墓に入ったとされる。だが佐藤さんは、「麗子さんにはもう1つお墓があるんです」と打ち明ける。
「お父さんと確執があった麗子さんは、森さんと離婚後に『大原ではなく、お母さんの旧姓の飯塚に戻したい』と強く希望し、家庭裁判所で手続きをして『飯塚麗子』になりました。彼女の死後、遺骨は確かに妙壽寺に納められましたが、実はお母さんが眠る都内の寺院でも供養されています」
大原さんと母親を供養する寺院の住職が回想する。
「大原さんは小学生だった頃、お母さんに連れられてこの寺を訪れました。お母さんは家庭内暴力と浮気が原因で家を飛び出してきたばかり。当時は離婚した母娘が2人だけで生活するなんてことは考えられない時代でしたが、お母さんは覚悟を決められて『私と娘が死んだらここで一緒に弔ってほしい』と言いました。私どもはその約束を守り、共同供養塔で2人を弔っています。ここに大原さんの遺骨はありませんが、これからも母娘の位牌を供養していくつもりです」
※女性セブン2019年7月11日号