「監督としては中日、阪神、楽天と3球団を渡り歩いたので、それぞれの関係者やファンのために、名古屋・大阪・東京の3か所でお別れの会が開かれました。メインは都内のホテルでのお別れの会。中日、阪神、楽天のユニフォームを着た星野さんの写真が3枚飾られ、最後の所属だった楽天の三木谷浩史・オーナーが挨拶しました。球団副会長まで務めたので、重きを置いたということでしょう。球界代表としては、六大学時代以来のライバルで親友でもある山本浩二氏が弔辞を読み上げました。
大阪で阪神球団が主催したお別れの会では、弔辞を阪神オーナー、金本知憲・阪神監督(当時)、六大学時代のライバルで元阪神選手の田淵幸一氏が読むなど阪神カラー一色でした」(スポーツ紙記者)
星野氏は現役時代は中日一筋で、監督としても球団を優勝に導いた功労者だが、他の2か所に先駆けて名古屋のホテルで催されたお別れの会は様相が違った。
「星野さんが中日と疎遠になっていたからでしょう。それでも名古屋の財界人には人気があったので、発起人は中日とは関係のない大村秀章・愛知県知事で、星野さんの個人後援会が仕切った。中日のオーナーや森繁和監督、現役選手の姿はありませんでしたが、監督時代の主力だった球団OBの立浪和義氏やファンら約2000人が駆けつけました」(中日担当記者)
さまざまな配慮やしがらみはあろうが、故人を悼む気持ちが最も大切であることは、どんな大物でも変わりがない。
※週刊ポスト2019年8月2日号