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2019.08.17 07:00  週刊ポスト

クイズダービー 正解率低かった篠沢教授が人気者になったワケ

「クイズダービー」はいくつもの流行語を生んだ

 いまやテレビのレギュラー番組が視聴率40%を記録するなどということはほとんどなくなったが、1970~1980年代には、そんなお化け番組がいくつもあった。そのうちのひとつ、5人の解答者に、出場者が持ち点を賭けるという競馬スタイルの『クイズダービー』(1976~1992年、TBS系)は、開始当初こそ視聴率は低迷したが、1年後には視聴率30%を超え、最高視聴率40.8%を記録する人気番組となった。プロデューサーを務めた副島恒次氏がこう語る。

「開始直後は複雑なルールの説明に時間がかかり、視聴者がついてこれないばかりか、司会の大橋巨泉さんが最も得意とするアドリブトークが発揮できずに苦戦しました」

 解答者を6人から5人に、出場者を4組から3組にするなど改良に改良を重ねたのが結果につながった。成功の秘訣を「出演者やスタッフみんながあたかも神輿を担ぐようにしていたから」と副島氏は分析している。

「番組スタートに際し、広告代理店や作家陣、巨泉さんも含め、数十人で毎週、ああでもない、こうでもないと番組をともに作り上げていきました」(副島氏)

 さらに、スポンサーも積極的に番組作りに携わった。同番組はロート製薬の一社提供。一般的にスポンサーは出資だけの存在だが、ロート製薬の広告部長をはじめ、担当者が大阪から駆けつけ、セットの配置から問題の内容まで、細かな部分まで意見を述べたという。

「彼らは『私たちも番組スタッフの一員なんです』と言っていました(笑い)」(副島氏)

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