「河野談話」は日韓に溝を生んだ(写真/時事通信フォト)
「河野談話の大問題は、根拠がないままに、慰安婦の包括的な強制性を認めたと誤解される表現にしたことです。韓国は河野談話で日本が強制を認めたと解釈し、その後の日韓の見解の食い違いを生じさせた」
宮沢氏や河野洋平氏をはじめ、日本の“謝罪外交”を担ったのは奇しくも宏池会人脈だった。
「日韓外交の中で経済協力利権を狙って韓国に食い込んだ政治家は多かった。その一方、自民党内でハト派と呼ばれる宏池会内には“贖罪意識で韓国に接する”という考え方が根強かった。外交を円滑に進めるために柔らかく接するという発想が先に立ち、それもまた現在の日韓対立の火種となっている」(評論家・屋山太郎氏)
そうした河野洋平氏らの路線は、村山富市・首相の戦後50周年談話、そして1998年の小渕恵三・首相の「日韓パートナーシップ」宣言に引き継がれていく。小渕氏は漁業協定締結のために行なったこの宣言の中で初めて、「植民地支配」という言葉を使って謝罪した。
◆鳩山元首相の「額ずき」
一方、当時の野党政治家にも、“謝罪ありき”の外交は広がっていた。
「慰安婦問題を盛り上げた日本の野党政治家の責任も重い」
そう指摘するのは、共産党議員秘書の経験があるジャーナリスト・篠原常一郎氏である。