「国鉄時代、地方球場での阪神戦。ワシが投げるたびに阪神の選手が首を傾げていた。そのうちタイムがかかり、審判がバッテリー間の距離をメジャーで測り始めた。球があんまり速いから距離が短いのではと疑ってきたんだ。それぐらいワシの球は速かった」
金田さんは週刊ポストでは王貞治氏、長嶋茂雄氏との「ONK座談会」を筆頭に、話題の美女をゲストに秘話を聞き出す「美女対談」やグラビア撮影にも挑戦。「週刊ポストのせいで殿堂入りが10年遅れた」とボヤいていたが、明るいキャラクターは「カネやん」の愛称で誰からも愛された。テレビ番組でジャイアント馬場と戦ったり、横綱・輪島と土俵入りをしたり。ロッテ監督時代の“カネやんダンス”、日本テレビでの巨人贔屓の野球解説も、すべては野球人気を高めるためのパフォーマンスだった。
金田さんが一度だけ「大リーグで投げてみたかった」と漏らしたことがある。日本人がメジャーで活躍を始めた頃だ。1955年の日米野球でミッキー・マントルから3打席連続三振を奪ったことがあり、「大リーグでも通用した」と話していた。時代が時代なら、本当に海を渡って大活躍していたかもしれない。
記録にも記憶にも残る野球人・金田正一さんに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
●文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2019年11月1日号