◆“校則が生徒の登校を阻む”という矛盾
ある時、こだわりが強く、毎日同じトレーナーを着ないと通学できない生徒が入学してきた。またある時、晴れた日でも長靴でないと学校に来られない生徒もやってきた。室内でも帽子を脱ぎたがらない生徒もいた。校則で制服着用が義務付けられていると、彼らはトレーナーを脱がなければならないし、長靴も帽子も許されない。それはつまり、校則や制服が、生徒の登校を阻んでいるのと同じことだ。学校の秩序を厳守するより、問題を抱える一人ひとりの子どもに寄り添うべきではないか──。西郷さんに迷いはなかった。
「好きなトレーナーを着てきていいよ」「長靴でもいいんだよ」「帽子、授業中にかぶっていてもいいよ」
不登校気味だった彼らは、学校に来るようになった。面白いことに3人とも、あれほどこだわっていたアイテムを身につけることがなくなっていった。
「もしかしたら、それまでは何か大きな不安を抱えていて、こだわりのアイテムが心の支えになっていたのではないでしょうか。“長靴で登校していいよ”と言われたことは、“この学校にいていいんだよ”と言われたことと同じ意味を持っていたのかもしれません。不安がなくなったことで、もう身を守るアイテムが必要なくなったのでしょう」
こうした段階的な見直しを経て、桜丘中学校では2016年に校則を全廃した。それと反比例して、急に増えたことがある。それは「議論」だ。校則があれば、生徒に注意するにしても、教員は「校則にあるから」と言えば済んだ。しかし今では、教員は生徒に対して、なぜそれがダメなのか、一つひとつをきちんと伝える必要がある。生徒も疑問があれば反論すべきで、なぜそうなのかと教員にぶつけ、とことん議論すればいいと西郷さんは言う。
「よく、“校則という規範がないと、教員によって言うことが違ってくるのではないか”という意見もあります。でも、それでいい。それこそまさに、“社会”なのですから。社会では、人によって価値観や考え方が違うことは当たり前です。ではどうするのか。それは、どちらの意見が正しいと思うのか、自分で判断すればいいのです」