校則というマニュアルに依存することで、教員や生徒自身の判断力を失う。「マニュアルがあるのだから、言われたとおりに従えばいい」と思っているから、例えば時の権力者が「これしか手がない」と断言したら、そういうものかと無批判に信じてしまう。
「正しく生きるため、正しい社会にするためには、日頃から自分で考え、判断力を養うしかありません。これこそが、未来を見通せない社会を生きていくための資質を育てる一歩です」
◆校則がないと理不尽な社会でやっていけなくなる
校則全廃については、こんな世間の声をよく耳にする。「社会のルールがわからない子どもになるのではないか」「世の中には理不尽なことは多々ある。校則がない学校で育った生徒は、高校や社会に出たら、つまずいてしまう」
前出・内田さんは、こうした考え方自体を見直すべきだと話す。
「“社会に出たら理不尽が待っているんだから、理不尽な校則を守ることに慣れろ”というのでは、進歩がない。理不尽な社会なら、そんな状況を変える人材を育てることこそが教育です」(内田さん)
こうした声の裏には、“校則がない=協調性がなく、自分勝手な振る舞いをする生徒になる”という先入観があるのだろう。だが、同校を複数回取材で訪れたというあるジャーナリストが言う。
「初めて桜丘中学校に行った日、すれ違いざまに、次から次へと生徒の方から挨拶してくれたことに驚きました。しかもはつらつとしていて、言わされている感がない。質問があって声をかけると、目を見て丁寧に答えてくれます。最初は“意外に礼儀に関する指導は行き届いているのだな”と思ったのですが、そのうちそれが自主的なものだと気づきました。ここの生徒は、校則がなく自分たちに判断を委ねられていることに誇りを感じている。だからこそ、挨拶するのは当然と自分で判断し、実行できるのだと思います」
実はこのジャーナリストも、校則がないことで服装が乱れていたり、はっちゃけた生徒が多いだろうと思っていたそうだ。だが、期待はいい意味で裏切られた。
「西郷校長はよく、子どもにはあらかじめ“よく生きようというプログラム”がインプットされていて、教員はそれがうまく発動されるように、環境を整えたり、後押しするのが役割だと話していますが、校則や制服がないという取り組みも、もしかしたら“自分で考えてよりよい行動をとる”という環境づくりになっているのではないでしょうか」(ジャーナリスト)