京都府警が家宅捜索した青葉真司容疑者の自宅。ドア内側に「電気 クーラー 消す」と書かれた紙が張られていた(時事通信フォト)
青葉も高校を卒業してすぐ、父親が自殺したあげく兄弟はバラバラ、孤独の中で40歳を迎えた。40歳といえば正社員のサラリーマンとして毎日満員電車に揺られ、うるさい妻がいて、生意気な子がいて、小さなマイホームにマイカーくらいはあって当たり前と私たち団塊ジュニアは思い込んでいた。いや、むしろそんな平凡な人生に落ち着くのは嫌だったかもしれない。だが、いまやすべて揃えるのは高値の花となってしまった。平凡でつまらないと思い込んでいた自分の親すら越えられないなんて!
残念ながら、旧来の成功価値観としての挽回は無理な人もいるだろう。それは匿名掲示板で学歴マウントやヘイトを垂れ流したところで解決などしない。「しくじり世代」もそんな大人こどもだらけである。何度も書くが、もう40代のおじさんおばさんなのに。
青葉は間違いなく私たちと同じ団塊ジュニアであり、結果の特殊性はともかく、多くの同世代とともにしくじった氷河期世代である。同じにするなと言うかもしれないが、現実である。
それにしても、しくじりの真の恐ろしさは孤独である。昨今は孤独礼賛の向きもあるが、とても恐ろしいことだ。
なぜなら、こんなしくじり続けた青葉にも寄り添う者はたくさんいた。面倒を見続けた母親、保護司やスタッフ、定時制の先生たち、瀕死の火傷から救ってくれた医療スタッフに「こんなに優しくされたのは初めて」などと言う前に、すでにいたはずの彼らに気づけなかったこと、その未熟な社会性と感受性の欠如こそが、責任を転嫁し続けた不遜な被害者意識による孤独こそが妄想を生んだ。
孤独は時にローンウルフを生み、結果京アニ事件のようなジェノサイドすら生み出す。これは私たち団塊ジュニア・氷河期世代にとって他人事ではない。もう私たちは40代、先は長くない。しかしまだ40代、これから中高年、高齢者として折返しの地獄を経験することにもなる。団塊世代と同じように、その数の多さと少子化による人口ボーナスを享受する老人として非難や蔑視を集めるエイジズムの対象となるだろう。
そして、これからもしくじりは待ち受ける。その地獄はもはや社会に対する転嫁や若いころの恨みつらみで乗り越えられるような試練ではない。ましてや団塊世代ほどの世代連帯もなく、手厚い年金も望めないであろう私たちは、このままでは改めてしくじった者から順に各個撃破されるだろう。