人口過多による過度の競争は団塊ジュニアを受験戦争、就職戦争に駆り立て、ときに他者を蹴落とし、ときに他者によって蹴落とされた。今とは比べ物にならないほど少ない大学の数に比しての受験人口の多さから大学受験は狭き門となり、偏差値50程度の高校なら大学全落ちの合格大学ゼロは当たり前、苦労して入っても卒業時にはバブルははじけ、就職氷河期となっていた。運良くそれを乗り越えた者も四大証券のひとつだった山一證券が自主廃業を決めたことにより起きた山一ショック(1997年)、米孤高の投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに始まった世界規模の金融危機リーマンショック(2008年)と相次ぐ淘汰の波に晒された。
「しくじり世代」のしくじりとは、自己責任ではどうにもならないことの積み重ねで起きたものが多い。仕事、恋愛、結婚など、子供のころに大人たちから「真面目に普通にしていれば手に入れられる」と聞かされていたのに、まったくそうはならなかった。連なる不運に見舞われ挽回の手段をつかむ競争も熾烈で、そこでも失敗して「しくじり」を重ねる結果になった人も多い。普通が普通でなくなったことでしくじらされたというわけだ。もちろんこれは自己認識の問題であり、本書の登場人物は「全然しくじってない」という意見もあったが、それは当然で社会保障、福祉の範疇に当てはまるような方々は入れていない。それは世代に関係なく一定数存在するはずで、世代論をあいまいにしてしまうのであえて外している。
ドキュメント『しくじり世代』には、そうした競争世代の中で蹴落とし、蹴落とされ、そしてしくじったサバイバーが15人登場する。もうおじさんおばさんだというのに競争を、上昇志向をやめない団塊ジュニアの叫びである。地方名門公立高校や有名大学を出たにも関わらず、就職や結婚という旧来当たり前とされたレールに乗ることが出来ずに脱線した連中や、あるいは青春時代に底辺高校でヤンキー文化に染まり、いまだに一発逆転を夢見ているような連中である。
青葉はその一発逆転を夢見た後者にあたる。私は拙著『京アニを燃やした男』で青葉の出生から今回の愚行までの生涯を追ったが、彼は端から団塊ジュニア上位による競争とは無縁の「非正規」人生である。非正規、これも団塊ジュニアの重要なキーワードであり、その中の一人が青葉である。
青葉は生まれながらの殺人鬼ではない。埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれ、貧しい父子家庭ながらも地元の定時制高校に通い、高校卒業まで役所の臨時職員で家計を支えた。しかし役所は派遣会社を使うことになり青葉は雇い止めをくらい、卒業後は春日部市のアパートに一人暮らし始め、時給のいいコンビニの夜勤で働いた。そして労働者派遣法の規制緩和による派遣全盛期に実入りのいい派遣の道を選んだ。しかしリーマンショックによりバブルは弾け、食い詰めた青葉は再婚して地元に戻っていた母親を頼り、ハローワーク経由で雇用促進住宅に入居、2009年ごろ、郵便局で非正規のゆうメイトとして働く。