◆名越康文氏(精神科医)
・太地喜和子(芸者・ぼたん役)第17作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年、監督/山田洋次)
【あらすじ】寅次郎は旅先の兵庫県龍野の宴席で底抜けに明るい芸者ぼたんと意気投合し、「所帯を持とう」と言うまで盛り上がる。ぼたんは悪徳な客に騙し取られた金を取り戻そうと上京し、憤慨した寅次郎はひと肌脱ぐが、金は戻らない。だが、意外な展開が待っていた……。
寅さんと最も相性がよく、僕を含め多くの男にとって夢のようないい女。それが太地喜和子演じるぼたんだと思います。
ぼたんは底抜けに明るく、よく笑い、はしゃぎ、理屈っぽくもありません。しかし、「ちょっとおバカな宴会芸者」ではなく、直感的に人の寂しさを見抜いて心を寄せる知性も、情け深さも併せ持っています。昔はよく、商家など人の出入りの多い環境で育ち、人間関係に揉まれた女性にこういうタイプがいました。自分自身では普段はおくびにも出さないけれど、実は苦労人で、そのぶん寂しさも抱えている。そういうところがフッと見えるので、男は父性をくすぐられるんですね。
寅さんが「いずれそのうち所帯を持とうな」と言います。するとぼたんは「嘘でも嬉しいわぁ」「あてにせんと待っとっからねー」と笑いながら応えます。寅さんの好意を受け入れ、喜ぶ。でも、寅さんの気が変わったとしても責めないからね、と期待なんてしない。大人の距離感です。
が、それだけに2人がもし結婚していたら……と想像してみたくなります。きっと常識はずれの、でも幸せな生活を送っているんじゃないでしょうか。
【なこし・やすふみ】精神科医。1960年生まれ。著書に『「男はつらいよ」の幸福論 寅さんが僕らに教えてくれたこと』(日経BP社)。