外出する池江選手
2018年6月、三木コーチは池江選手を指導するため、彼女の所属するルネサンスに入社した。結果はすぐに表れた。
8月に開催されたアジア大会では、50m、100m自由形を含む6種目で優勝。大会MVPに輝いた。
「2人の師弟関係は日に日に深まっていきました。他人が見たらまるできょうだいか恋人かというほど親密。彼女の成績もよくなっていった。池江選手は日本大学に進学しましたが、それは三木コーチの母校だったことも大きかったようです」(前出・日本水泳連盟関係者)
このまま二人三脚で東京五輪に挑む──と誰もが思っていた矢先の2019年1月、池江選手を病魔が襲ったのだ。
当時、三木コーチは日本水泳連盟が池江選手の病状を明らかにした記者会見にも出席し、険しい表情ながらこんな話をしていた。
「(病気発覚直後は)お互いに言葉が出なかったんで、頭の中が真っ白だったと思うんですけど。本人に、“早く治して二郎さんと一緒に練習したい。頑張りたい”という気持ちがありましたので、自分自身、何ができるのかということを考えてやっていきたい」
実際、闘病期間中も三木コーチは毎日のように病室に通い、体調に応じたリハビリをサポートするなど池江選手に寄り添っていたという。
だが、三木コーチの立場に変化が訪れていた。
◆日大コーチ就任は師弟の苦渋の決断
昨年の6月、三木コーチは池江選手が所属するクラブチーム・ルネサンスを辞め、日大水泳部のコーチに就任した。一見、池江選手を指導するための移籍かと思われたが、そうではないという。
「日大の女子競泳部員は、大学に籍を置きながらも、実際の練習は所属するクラブチームなどで、専任のコーチのもとで行うことがほとんどです。池江選手も今後も所属先のルネサンスでトレーニングする予定でした。ですから、三木コーチが日大に就職したことは、池江選手を指導しない、という意味なのです」(前出・日本水泳連盟関係者)
そこには、双方のやむにやまれぬ事情と、苦渋の決断があった。血液専門医の久住英二さんは、池江選手の現状をこう分析する。
「退院時、池江選手が造血幹細胞移植を受けていたことが公表されました。この治療は、退院後も免疫抑制剤というのみ薬を服用する必要があります。服用期間は、半年から2年ほど。これらの薬には筋肉を落とし、骨を弱くする働きがあるものも含まれるため、服用期間中に激しい運動をすることは難しいでしょう」
つまり、2年ほど運動ができない可能性があるというのだ。