『欽きらリン』をキッカケに生まれたグループCHA-CHAの一員だった木野正人はこう語る。
「僕はSMAPのデビュー前に『SMAP』という楽曲の振付をしたことがあります。その時、メンバーの中で剛がいちばん踊りの順応性があると思いました。この曲は、もともとボビー吉野さんが振付をしていました。僕はジャニーさんに頼まれて、Bパターンを作ったんです。普通、いつも習っている先生の振りはすぐ体に入っても、違う人に変わると染み込ませづらい。でも、剛はボビーさんから僕になっても、自然に出来ていました」
SMAPの中でも、草なぎの対応力は頭1つ抜き出ていたようだ。そこに萩本が目を付けた可能性もある。
『欽きらリン』が始まった頃、各局にはゴールデン帯の音楽番組があった。しかし、1988年10月に『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)が始まると、裏番組の『ザ・ベストテン』の視聴率は20%前後から1ケタに下落。すると、『夜ヒット』や『トップテン』の数字も肩を並べるように落ちていく。結局、1989年9月に『ベストテン』、1990年3月に『トップテン』、同年9月に『夜ヒット』が終了。テレビ界は音楽番組冬の時代を迎える。
1991年9月デビューのSMAPは1枚目のシングルこそ2位につけたが、2枚目は10位に留まった(ともにオリコン最高位)。それまでのジャニーズ事務所のタレントと違い、音楽番組が少ないため、アピールする場が限られていたことも大きかった。しかし、バラエティ路線にも舵を切ると、人気や知名度が上昇。1996年4月からは『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)が始まる。歌だけでなく、トークやコントでも楽しませ、20年8か月も続く長寿番組となった。
ジャニーズ事務所独立後、テレビ出演が激減していた草なぎは、昨年の大晦日に『絶対に笑ってはいけない青春ハイスクール24時!』(日本テレビ系)で村西とおる監督に扮するなどして爆笑を取り、健在ぶりを示した。
このような流れを考えてみると、草なぎが13歳の時期に萩本から笑いの薫陶を受けたことは大きな意味があった。『アドリブで笑』では、32年ぶりに恩師の前でコントを披露する。リズム感のある動きで、欽ちゃんを満足させることができるか。
■文/岡野誠:ライター。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)。2月8日13時半から大阪ロフトプラスワンウエストで、元CHA-CHA木野正人とトークショー『“職業:男性アイドル”の考察とジャニー喜多川氏の果たした役割』を開催。木野が『SMAP』の振付時に考えた“フォーメーションメモ”も披露。1988年の『少年御三家』公演に関する秘話も。