清水さんはビジネス系専門学校を卒業後、消費者金融に就職した。いわゆるサラ金である。当時は就職氷河期真っ只中、これでも専門学校では優秀なほうだったという。
「サラ金って下手すると若い子は知らないかも。就職先として人気の時期もあったんですよ。僕も年をとったなあ」
強引な貸付や取り立てなどが社会問題化した1970年代後半、サラ金はCMのテレビ放送を排除される存在になっていた。その後、貸金業法や出資法が変更され悪質業者が排除され、消費者金融は1990年代に入るとイメージ回復に躍起となった。おなじみの曲でダンサーズが踊り、三人組の宇宙人が「ラララむじんくん」と歌い、チワワのクーちゃんが見つめ、サッカーブラジル代表の英雄だったジーコが「ヒトリデデキター!」と叫ぶ、各社工夫をこらしたCMでお茶の間を席巻した。そんな時代もあったのだ。
「上場企業だったけど、やっぱり金貸しは金貸しだった。事務採用のはずが即営業、ティッシュ配りと金借りに来るクズどもの対応。回収は別部隊だったけど、体育会系で店長からは殴られたり蹴られたり、それが当たり前だった」
会社や業種にもよるのだろうが、1990年代までは職場でも暴力が容認、少なくとも否定されなかった。私もどこの出版社とは言わないが、普通に殴られたことがあるし全裸にされたこともある。いまだったら大変な問題になる話だが、20世紀とはそういう時代だった。セクハラに至ってはなにそれ美味しいの、と言いたくなるほど問題が共有されていなかったのである。
「バブル弾けて就職難の入り口、そんな会社でも入れたら御の字だったよ。有名大学出た奴もサラ金にたくさん入ってきた。後輩には早稲田や明治、国公立もいた。うまく立ち回れる奴もいたけど、弱っちいのは高卒上司に壊されて辞めてたな、サラ金の高卒上司ってことは1980年代に、取り立てで追い込んで何人首吊らせたかを自慢するような猛者揃いだからね。部下を灰皿で殴って病院送りとか、容赦なかったよ」