今年6月に行わる予定の挙式を前に衣装合わせ。憧れのウエディングドレスで
運命のレールは再び、音楽の世界へと切り替えられた。だが、その道は平坦なものではなく、レッスン以前に、日々の生活に苦労した。
6畳にユニットバス・トイレのついた1Kを月額6万円で借りてひとり暮らしを始めたが、家賃と生活費をまかなうため、アルバイトが欠かせなかった。東京・飯田橋のアパートの一室や歌舞伎町のスナックで行われるレッスンは不定期で「いまから来い」と言われることも多かったので、選べるアルバイトの種類も限られた。パチンコ店や中華料理店など、いくつもの職を経験した。
事務所内のオーディションにやっと合格しても「年齢をごまかせ」と言われ、断ると年下のアイドルに仕事が振られる。事務所を移籍しても、すすめられるのはきわどいグラビアなどの仕事ばかり。なかには「ホテルを用意しているから」とあからさまに“枕営業”を迫られることもあったという。
「こんな思いをしてまで歌手になりたいのか、と自問自答する毎日でした。こうした生活は覚悟していたものの、3年も続くと、つらい思いの方が勝ることもありました。
そして、気づきました。“歌を仕事にしたい”のではなく、“歌いたい”だけなんだ、と。その時点で歌手になることは断念しました。
音楽への情熱が衰えたわけでは決してないけれど、現実問題として生活の糧を得なければなりません。そして選んだのが、IT企業でした。『NICS』という会社でしたが、思い返せば、私の人生の中でいちばんの転機が、この選択だったと思います」
◆営業事務からシステムへの抜擢 そして「交際ゼロ日婚」
「北海道時代と同じく、営業事務として入社しました。前職で経理の経験もあったし、エクセルでの作業が好きだったから。入社した2000年前半はITバブルという時代背景もあって、この業界は慢性的な人手不足でした。事務員でしたがシステム部の作業を手伝うことが多くなってきて、上司から『システム部に転属して勉強してみない?』と声がかかり、二つ返事でOKしました」
事務員からシステム部への抜擢は異例だったという。新しい環境に奮起した琴絵さんは年下の新入社員に交ざり、プログラミングの講習を受ける。だが全く理解ができず、先輩社員の後については取引先を回り、先輩たちの仕事を見ながら実地で技術を学んだ。現場から戻ると「フローチャートを読み込んでシステムを予想する」という勉強をし、帰りはいつも終電。自宅につくと気絶するように眠る日々…。そのかいあってか、見事、社内試験を突破した。