◆天才には“未来が見えている”
改めて、オードリー・タン氏の半生を追ってみよう。タン氏は1981年、メディアで働く両親のもとに生まれた。自由な教育方針でのびのびと育ち、幼い頃から父の書棚にある数学や哲学の本を読み漁っていたという。
小学校入学後、類いまれな知性は隠しきれるものではなく、IQを測定する知能テストでは、そのとき使われた測定法の限界値の160を超えたという。タン氏が紹介される際「IQ180」とよくいわれるが、それはあくまで推測値。本人は、自分のIQが話題になると「私の身長(180cm)とIQを混同していませんか」とジョークにしている。
そんなユーモアも持つタン氏だが、学校生活は苦痛な日々だったという。
「学業では常にトップで、あまりに聡明すぎたため、同級生から敵視されることが多かったそうです。教育熱心な家庭の多い台湾では、子供たちの間で常に激しい学力競争がある。いつもトップの成績だったタン氏は“あなたが死ねば、私は1番になれるのに”と同級生に言われたこともあったそうです。
そうしたことが重なり、14才で中学校中退を決意。ですが、学校を離れたことで気づいたのは“学校で得られる知識は、インターネットで知り得ることに比べて10年は遅れている”というものだったそうです」(前出・国際ジャーナリスト)
学校で学ぶものはない──。そんな結論にたどり着いたタン氏は16才でコンピューター会社の経営に携わり、社会へと足を踏み出した。そのわずか3年後には、19才で米シリコンバレーにIT企業を創業した。
「起業後もその活躍はめざましく、米アップル社のデジタル顧問など、数々の役職を歴任しました。当時アップルと結んだ契約は『時給=1ビットコイン(仮想通貨)』というもの。そのころ、1ビットコインは日本円で5万~6万円でしたが、現在は100万円以上に高騰しています。それを予測した上での契約だったのでしょう」(台湾在住ジャーナリスト)