さらに、どうしても浮気した夫にそこまで罪は無いと言いたい人たちは、妻だけでなく浮気相手の女性たちにも「非難」の声を向けている。週刊誌からの取材に不倫の関係があったことを認め、告白をした女性たちへのバッシングはひどく感情的で、批判では無く誹謗中傷のレベルだ。
このスキャンダルで私たちが知り得ているのは、芸人が浮気をし謝罪した、という事実だけ。結婚という契約において配偶者に対する不貞行為が反復して行われていた、つまり継続的な浮気が発生したことしかわかっていない。夫婦間で片方だけを責められない感情的な何かはあるかもしれないが、それは第三者には分からないし、あずかり知らぬことだろう。
にも関わらず、妄想や希望的観測だけであれこれ論じられ、場外ではここで紹介したような有害とも言える一方的な「意見」まで飛び出し、ネット空間では少なくない同意を得ている。浮気をした側の勝手な言い分は、本来、胸の内に秘めておくものではなかったか。
匿名で意見表明できる「ネット空間」ならではの現象といえばそうだが、こうしたことを会社や親しい友人との間で話すと自分がどう思われるか、想像するまでもなくわかるはず。それでもネット上に溢れる「意見」こそが、人間の欲望に基づく「本音」だというのならば、それはあまりにも悲しく情けない。