しかし、今回の新型コロナウイルスに関して「クラスター」と呼ばれる集団感染は、北海道から九州までどこでも起きているし、絶対に安全な地域など存在しないと言ってよいだろう。最近も福岡のキャバクラや小樽の昼カラオケ、鹿児島のパブなどがクラスターとなった。いや、理屈は理解できているのかもしれないが、自分たちの足もとでも起きているのだと考えることに、漠然とした抵抗があるはずだ。東日本大震災から連なる東京電力福島第一原子力発電所事故のあとも、福島県だけでなく東日本、日本全体が危険だと心の内の恐怖を外へ向かって言葉にする人たちがいた。あのときと同じように、新型コロナウイルスも目に見えず、特効薬もワクチンもいまだ開発中で、何となく嫌だし、怖いのである。
「うちのお客さんは8割が東京とか首都圏の人。やっとお客さんが戻ってきたけど、いつもの2割程度。ここから回復していけばいいと思いますが、地元の人間の中には、東京の客がコロナを持ってくる、と警戒する声もあります。感染している客が自分の店から出たら、噂は一気に広まるでしょうし、責任を追及されるはず。悩ましいところです」
こう話すのは、群馬県内で温泉旅館を営む前田耕一郎さん(仮名・50代)。待ちわびた都会からの客に顔が綻ぶが、一抹の不安もよぎる。客には消毒の徹底を促し、シールドやマスク、手袋を用いたサービスで感染予防は万全であると胸を張るものの……。
「旅館やホテルによっては、東京からのお客さんが怖いので営業を見送るところもあります。関西でも、大阪や神戸からの客がいやだからそのまま廃業したという旅館があると聞きます」(前田さん)
前田さんによれば、こうした認識はほとんど、テレビや新聞の報道に触れる中で醸成されていったものだという。東京の「夜の街」でクラスターが発生した、東京では新規感染者が何人、大阪では何人、そんな報道ばかり毎日眺めていれば、東京や大阪などの都会は「ウイルスまみれなのではないか」と思わずにはいられない。大阪などは実際、新規感染者は一桁なのだが、前田さんに問えば「都会だから30人くらい?」と答える。これが「認識」なのだ。愛知県内の新幹線停車駅で、東京方面に向かうサラリーマン客に取材を続けてきた全国紙記者もいう。
「少し前まで、東京は怖いと正直に答える人は少なかったです。ただこの一週間ほどは、怖いということに抵抗がなくなった人が多いのか、堂々と東京は怖い、と答える人が増え、そういった方々のテレビ露出が増えつつある。東京をはじめとした都会が怖いという“空気”は、こうした効果も相まって今後ますます高まる気がします」
よくわからない災禍が起きたとき、人は誰でも「自分だけは違う」「自分の近くには起きていない」という根拠のない心の棚上げを行ってしまう。難しいことだろうが、その棚上げは正しいのか? 常に疑問を持ちながら過ごす必要があるのだろう。