「今の阪神には他に中軸を任せられる選手が少なく、新外国人に打ってもらわなければ困るというチーム事情がある。1シーズンを考えれば、サンズの打棒が爆発しないと上位進出は望めない。日本の攻め方に慣れれば、打ち始めるかもしれない。だからこそ、思い切って7番、8番という気楽な打順に置く手も必要かもしれません。韓国時代も三振が多い選手でしたが、現在35打席で10三振。8番に置かれれば、9番は投手なので『まともに自分と勝負してこない』と考え、ボールを見極めるようになるという効用があるんです」
1995年、ヤクルトのミューレンがその例だという。“恐怖の8番打者”と呼ばれ、日本一に貢献した外国人選手である。前年、ロッテのクリーンアップの一員として期待され、オープン戦15試合で5本塁打を放ち、開幕4番でスタートした。だが、日本の投手に苦戦し、4月下旬には6番、ゴールデンウイークが終わると7番にまで打順が下がった。
夏場、調子を上げてきたミューレンは8月になると4番に復帰。シーズンを通して、打率2割4分8厘、23本塁打、69打点を残したが、外国人を3人しか1軍登録できず、野手、投手に3人ずつの配置を禁じられていた当時、合格点とは言えず、自由契約となった。それを拾ったのが、野村克也監督のヤクルトだった。
「1995年のヤクルトは古田敦也、オマリーはクリーンアップ当確としても、もう1人はミューレンが打ってもおかしくなかった。この年のヤクルト打線は池山隆寛に陰りが見え始め、層は厚くなかったですからね。野村監督は開幕当初はミューレンを6番に置いたが、そのうち7番に下げ、8月中旬以降はほとんど8番で固定した。下位になったことで、ミューレンの考え方が変わったんです。
8番、9番の打力は弱いので、相手は『四球でもいい』とボール球で釣ってくる。それまでのミューレンは外角の変化球に手を出して空振りしていましたが、見極められるようになった。前年よりも選球眼が良くなり、四球が前年の36(敬遠1)から60(敬遠4)と増えた。『まともに勝負してこない』と意識を変えただけで、調子が上向いた。結果的に、2割4分4厘、29本塁打、80打点を上げました。