1971年10月開始の『スター誕生!』(日本テレビ系)を機に、翌年に森昌子、翌々年に桜田淳子、山口百恵がデビューし、『中3トリオ』として人気を博す。他局にもオーディション番組が乱立していき、『時間ですよ』(TBS系)の天地真理のようにテレビドラマで注目を集めてからデビューするケースもあった。1973年には、10代の芸能界入りが珍しくなくなった世情を表すかのように、堀越高校に芸能コースが誕生した。
この頃から、徐々に“アイドル”の新しい意味が浸透し始めていく。特定の世代だけでなく、万人に通じるように言葉を使用する新聞の用例を調べると、こんな記述がある。
〈若手の森昌子、麻丘めぐみ、アグネス・チャンの“アイドル歌手”〉(1973年11月2日・読売新聞夕刊)
〈“ヤングのアイドル”といわれ、順調に歌手として成長を続けてきた野口〉(1974年2月7日・毎日新聞夕刊)
当時のアイドルは、3か月に1枚のペースでシングルを発売していた。時代の寵児となっていた筒美氏の元には、ヒットを求めて依頼が殺到した。
〈会社勤めは四年間だったが、そこで時代を読み取る感覚と、どういうものが売れるのかを教えられた。職業作曲家としては、まず曲をヒットさせなくちゃいけない。シングル盤のA面を、いかにうまく仕上げるかに心を砕いてきたつもりです〉(1997年11月21日・読売新聞)
つまり、曲を売るためには、時代を把握しなければならなかった。そう考える筒美氏にとって、ティーンエイジャーと仕事する意義は大きかった。
〈アイドルというのは、歌のうまい下手ではなく、時代をつかめるかどうかという点が興味深い〉(2003年10月31日・読売新聞夕刊)
〈アイドルずっとやっていたのも、彼らがいちばん世代の匂いをもっていたから〉(1990年11月28日号・ターザン)
1973年には浅田美代子『赤い風船』、麻丘めぐみ『わたしの彼は左きき』、翌年には郷ひろみ『よろしく哀愁』、野口五郎『甘い生活』の作曲者としてオリコン1位を獲得した。次から次へと押し寄せる仕事量も、筒美氏の能力をさらに高めた。