冬の装い、街に溶け込む百恵さんも目撃されている(今年2月初旬)
ただ、当時の百恵さんは超がつく売れっ子。三浦も刑事ドラマなどで忙しく、デートをしている暇はなかったはずだが、三浦は著書『相性』(小学館刊)でこう語っている。
《実際はデートなんて必要ありませんでした。現場でずっと一緒にいるんですから》
その仕事という名のデートの末に、百恵さんは三浦との交際を宣言する。1979年10月20日、大阪厚生年金会館での百恵さんのコンサートでのことだった。大勢のファンが詰めかける中で、百恵さんは「私の好きな人は三浦友和さんです」と、堂々と告げたのだ。この日から、いまに至るまで百恵さんは、この言葉を裏切ることなく、40年以上の愛を貫き続けている。
先の渡辺が、当時の交際宣言を回想する。
「百恵さんらしいと思いました。彼女は、裏表のない人でした。多くの人々の注目を集めているのに、隠すとかそういう意識はまったくなく、堂々と対応していたのを覚えています」
その後の1980年3月には正式に婚約を発表。そこで百恵さんは結婚を機に仕事を引退すると明言した。当時、百恵さんは21才。このときのことを三浦は著書で述懐している。
《「仕事を辞めて、あなたの奥さんになる」この言葉はどんな立場であろうが、男にとっては重いものです》(前出・『相性』より)
※女性セブン2021年3月4日号
