子供と妻と遊園地に出かけていた時も、大きな事件が起こり、妻子を残し、一人現場に駆けつけことがあった。寝ていようが酔っ払っていようが、遊んでいようが、仕事となれば急にスイッチが入るのだ。肉体的にキツくないか? という筆者の率直な質問には、さらりと次のように答える。
「人より好奇心が強いところがあるから、この仕事を志望したところもあるので、事件事故災害のときに、まったく野次馬な気持ちがないとは言いません。そういう意味では、人の不幸で飯を食っている、と非難されるのもわかります。でも、仕事としてこういった事柄に接するとき、実際には人の不幸を喜んでいるのではなく、大変な事が起きている現場、理不尽に巻き込まれた人々のことを、しっかり伝える時が来たと集中力が高まるのが自分でも分かるんです」(民放局の男性記者)
この民放記者、実は局の正社員ではなく、局関連の制作会社のスタッフ。だから、肩を並べて働く正社員記者に比べれば、年収はおよそ半分。決して高給取りではなく、選ばれた人間として世間を高いところから見物をしているわけでもない。仕事について持っている誇りや責任感から、働いているのだ。
とにかく報道の現場は激務だ。自分たちの都合でスケジュールが組めるものではないので、生活の時間も不規則になりやすい。毎日、人を訪ね、話を聞き、それをまとめることの繰り返しのため、仕事のほとんどは地味で単調にさえ感じることもある。そのため、記者やカメラマンに憧れてテレビ局に就職したものの、現場のキツさに心が折れ、去っていく人間の方が多いことでも知られる。それでもなお、報道にこだわる人たちは、真実を知ってそれを伝えたいという純粋な気持ちが強いからだ。そう話すのは、大手紙の社会部女性記者。
「東日本大震災で福島第一原発の水蒸気爆発が起きた時、被災地に行きたがらなかったり、東京本社から西に逃げた記者もいました。中にはその後、何食わぬ顔で会社に戻った人もいて、うわべでは普通に接していますが、本音では軽蔑しています。確かに、動物として危険から逃げることは正しいかもしれませんが、報道に携わるものとしては失格じゃないでしょうか。危険が迫ったとしても感情的になるのではなく、その危険について正確に伝え、正しく怖れるための情報を伝え続けるのが、私たちの仕事だと思っています」(大手紙社会部記者)
この女性記者も、冒頭のカメラマンが褒められているネット民たちの声をスマホで見たらしく、そのことを思い出すと「嬉しい」と笑顔を見せた。しかし、すぐに背筋を伸ばし、現実に広がるシビアな「今」について、考えていることを吐露する。