出産は夫婦だけの出来事ではない。孫の誕生を楽しみにしている日本の両親に、どのように報告すべきかわからなかった。
「私は、自分の意志でアメリカに暮らし、ただでさえ心配をかけているのに、障害を持った子を産んでしまった。自分を何度も責めました。いざ親に電話しようと受話器を持っても、体が震えてかけることができませんでした」(美香さん・以下同)
両親への連絡は夫に任せ、時間をかけて受け入れてもらうためにも、その時点では目が見えないこと以外は詳しく説明するのは控えた。それでも、両家の親たちは言葉を失っていたという。
ただでさえ、第1子の子育ては不安が多い。妻が里帰り出産をして、しばらく実家で子育てをしたり、親が子供の家へ行ってサポートするのは当たり前のこととなっている。夫以外に頼れる身内もいない異国の地で、美香さんの心は孤独と恐怖に押し潰されていった。
「千璃を抱いてニューヨークの街を歩いていると、その顔を覗き込んだ人たちはみんな、ビクッと驚きました。悪気がないことはわかりますが、『何が起こったの?』と聞かれるのが怖くて、外出するときは千璃にツバのある帽子をかぶらせ、顔を隠すようになりました」
千璃さんが夜中に泣き出すと、アパートの隣人から苦情が来ることを恐れ、娘を抱えて屋上へ行った。深い闇の中では、衝動的になることもあった。
「『このまま一緒に飛び降りたら楽になるだろうな』と、何度も考えました。千璃の未来も、私たちの未来も思い描けず、誰も知らないところで人生を終わらせてもいいかもしれないという誘惑が夜の闇にはありました。空が白んできて、朝の光を浴びるまで屋上に立ち続ける。毎日、その繰り返しでした」
だが、娘との未来に絶望する一方で、美香さんの心に希望の光を与えてくれたのも千璃さんだった。ある日、美香さんが大好きなDREAMS COME TRUEの曲を流していると、千璃さんは足をバタバタと動かしながら、声を立てて「キャッキャ」と笑った。その姿を目にしたとき、美香さんはわれに返ったと話す。
「千璃がお腹にいたとき、エコー検査ではいつも顔が隠れていたため、障害があることに気づかなかったんです。それは、この子が一生懸命顔を隠して、『ママ、生まれたい』と意思表示をしていたのかもしれない。そう気づいたとき、私は自分の身勝手さに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」
千璃のためにやれることはすべてやる――母の覚悟が決まった瞬間だった。