あくまでアンダーグラウンド、日本中のマスを席巻した一大ムーブメントではない。1995年といえばオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ放送開始、Windows 95が発売された年でもある。ちょうどその年、青山正明の編集による『危ない1号』発売、その成功を受けて悪趣味、不謹慎、のちに鬼畜系とも呼ばれる雑誌や書籍が中小出版社を中心に乱発された。ちょうどパソコン通信とインターネットの境目、なんともカオスな年である。
ただし「Quick Japan」がその悪趣味、不謹慎系の雑誌だったかといえば否である。あくまで当事者である小山田圭吾と連載担当の村上清、編集人兼発行人だった赤田祐一らの人権意識の問題だろう。いじめという名の犯罪自慢と差別まみれのインタビュー、1990年代でもあれはない。
「そう、時代とか、ブームとかじゃないですよね。被害者がいて、たくさんの人がいまも苦しんでいる。当時はそうだったなんて、それで納得できるわけがないです」
まったくそのとおりで、昔はコンプライアンスもモラルも低かったと言われても、小山田圭吾のような連中による校内犯罪の被害者からすれば納得できるわけがない。
「でも苦しめた側はなんとも思ってない、というか忘れてたりする。今回だって有名なミュージシャンが公の場に選ばれたから問題になったわけで、その辺の校内犯罪者は家庭を築いて幸せにやってる。別に不幸になれとは思わないけど、やられたほうは一方的に恨むばかりで苦しいなんて、理不尽過ぎます」
筆者の中学でも生徒による校内犯罪が多発していた。それらのほとんどは表沙汰にはならず学内で処理されるか、田舎近所の噂程度で放置された。とくに学年ひとつ上の先輩は酷い虐待を受け、その後しばらくして自ら命を絶った。加害側の先輩たちを知っているが、その一人はずいぶん前の話、やんちゃそうな子どもを連れて野田のショッピングモールを闊歩していた。おそらく、虐待のあげく自殺した同級生のことなど覚えていないかもしれない。いまさら具体的な形で表沙汰になることも、平凡な一家庭の父でいる限りはないだろう。
「若かったからとか、ワルだったとかネタにしますけど、やられたこっちにしてみたらネタじゃ済まない。そもそもやったことは犯罪です。どうして社会では暴行罪や侮辱罪なのに、校内ではいじめなんですかね」
やった側にすればただの「いじめ」でしかなく、面白おかしい武勇伝や「ネタ」でしかないが、やられた側にとっては校内犯罪の被害者として一生の苦しみを味わうことになる。自死に至らなくとも、忘れることのできないトラウマを背負わされる。
一方通行な不道徳はもう通用しない
問題の記事は、その発言内容だけが悪質なのではない。インタビュー中、小山田圭吾は「会ったら会ったでおもしろいかな」とSくんやMくんに会いたいと語った。村上清は編集部の赤田祐一や北尾修一に話し、企画の了承を得てMくん(住み込みで働き音信不通)の母親に電話取材をしている。当然、母親は小山田圭吾との対談を拒んだ。Sくん(障害が重くなり会話も困難な状況)に至っては自宅に突撃、こちらも小山田圭吾との対談は実現しなかったが、村上清はSくんと会った印象を「ちょっとホーキング(ALSに苦しみながら量子宇宙論に挑んだ物理学者)入ってる」と書いている。前後の文脈からALS患者の特徴を揶揄したことは明白だろう。Sくん一家、Mくん一家の苦しみは、小山田圭吾とその一味にとっては面白い「ネタ」でしかなかった。まるでおもちゃで遊ぶように。
「彼ら業界の大先輩たちに言うのも気が引けますが、もうそんな時代じゃないです。昔の雑誌は読者がハガキや電話で文句言っておしまいでしたけど、いまや読者はSNSという手段を持ってます。一方通行な不道徳はもう通用しない。まして小山田圭吾は人気ミュージシャンでオリンピック・パラリンピックの音楽担当に選ばれる立場でした」