飯島は売り上げでの貢献だけにとどまらず、彼と同棲するためにマンションを購入。それが冒頭のタワマンで、購入価格は約2億5000万円と報じられた。
「飯島さんはホストとして働く彼を応援してはいましたが、本心ではホストを辞めてもらいたかったんです。彼との結婚を本気で考えていましたから。そこで飯島さんはBさんをインテリアデザイナーの専門学校に通わせて、家具店を経営してもらおうと考えました。将来への線路まで用意する尽くしぶりでした」(前出・芸能関係者)
だが、飯島の思いはBさんに届かなかった。
「次第に専門学校に通わなくなり、いわゆる“ヒモ状態”に。友人の説得もあり、2007年に破局しました。彼に尽くした金額は、数億円ともいわれています」(前出・芸能関係者)
なんでいつも報われないの
Bさんとの破局後、飯島は尽くしても報われない現実に疲れ果てていた。そのときに飯島の前に電撃的に現れたのが、不動産会社を経営するAさんだった。1才年上のAさんと出会ったのは、2009年のこと。Aさんから交際を申し込まれたが、飯島は後ろ向きだったという。飯島は雑誌『ESSE』(2013年10月号)のインタビューで、当時の心境をこう振り返っている。
《結婚に懲りたわけじゃないし、結婚が悪いものだとも思わなかったけれど、もしも再婚するなら、自分でやりたいことを全部やり終えたあと、60歳くらいになってからかなあって》
だが友人関係が続くうち、飯島はAさんの人柄に惹かれていく。周囲の猛プッシュもあって交際に発展すると、2012年のクリスマス、飯島は44才で再婚した。
「飯島さんが再婚を決意したのは、彼女のお母さんの後押しが大きかった。物腰が柔らかく、誠実そうなAさんのことをお母さんは一目見て気に入り、“信頼できる人がそばにいてくれると心強いわよ”と飯島さんに説き続けたそうです」(前出・飯島の知人)
Aさんと再婚後、飯島は再び仕事をセーブして家庭に入ることを心がけた。Aさんの健康を考えて野菜中心のヘルシー料理を作るなど、“尽くしっぷり”は相変わらず。それに加え“夫を咎めない”ことも意識していた。
「Aさんは自宅に帰ると、洋服は脱ぎっぱなし。それを飯島さんが片づけるのは当たり前でした。でも飯島さんは、“これまでそうやって生きてきた人を、いまさら改心させるなんて無理”と言って、彼を甘やかしていたんです」(前出・飯島の知人)