「もともと、A子さんは映画関係の会社に勤めていました。その後音楽制作会社を経て、女性コーラスグループのマネジャーに。亜星さんとはその頃仕事を通じて知り合ったそうです。
業界の文化にも精通していただけに、亜星さんは公私ともにA子さんに頼りっきりでした。だからこそ、自分の死後、作曲した音楽の権利もA子さんに任せたいと思ったのかもしれません」(前出・音楽関係者)
亜星さんの遺言書の内容は、前述したように音楽に関する著作権もすべてA子さんに相続させるというものだったようだ。
「音楽はもちろん、絵画や写真、創作物を作り出した人に認められる著作権は、相続の対象になる財産です。遺言書に記載があれば、当然その内容に沿って相続が行われることになります。ですが、著作権は相続以降もお金を生む可能性があります。現金や不動産と異なり、金銭評価の方法や、その時点の価値をとるか、予想収入も分けるのかといった点を考慮しなければならないため、トラブルにつながりやすい実態があります」(前出・長井氏)
子供たちには充分尽くした
亜星さんがそんな遺言を残したのには、前妻との離婚のいきさつも関係しているのかもしれない。
「長く別居しての離婚でしたが、前の奥さんと離婚したときに、自宅や別荘、経営を任せていたスナックなど、預貯金も合わせて手持ちの財産はほぼすべて渡したと言っていました。古いベンツ1台だけ残して身ぐるみすべて渡しての離婚だったので、“パンツとベンツ離婚だよ”とよく笑い話にしていました。
そのうえ、生活費や子供2人の養育費など合わせて月60万円を何年にもわたって払い続けた。離婚直後は疎遠になった時期もあったようですが、お金にきっちりしていた亜星さんだけに、離婚しても“無関係”とはなれなかったんでしょう」(別の音楽関係者)
次男の朝夫氏には、さらなる“手厚い支援”もしていた。朝夫氏は1981年に、戦隊シリーズの『太陽戦隊サンバルカン』(テレビ朝日系)にヒーロー役で出演するなど、一時期は俳優として活動。その後は学習塾の講師・経営者に転身し、教育関連の著書も多数出版。現在は地震予知の研究者としてブログでの発信を続けている。一方、過去には警察沙汰を起こしていた。
「そのときの弁護士費用や罰金、被害者への賠償金を立て替えたのは亜星さんだったそうです。亜星さんは、“もういい大人だから”と、表立って文句や愚痴を言ったりすることはありませんでしたが、思うところはあったようです。
それまでの多額の金銭支援もあったし、“子供たちにはもう充分尽くした”という思いもあったかもしれません。前妻と別居後、自分を支えてくれたA子さんへの感謝の気持ちもあったはず。だから遺言ではすべてをA子さんに渡すことにしたんじゃないでしょうか」(前出・別の音楽関係者)