20歳の頃、地元で有名な先輩に誘われて暴力団の構成員になったが、極道の世界は思い描いていたものとは違った。
「地元の小田原はヤクザが多く、みんな羽振りがよかったので、暴力団に入れば稼げると考えていたんです。ところが現実はまるで違って、シノギ(お金をもらえる仕事)を自分で編み出さなくてはならなかった。しかも雑用が多い上に毎月3万円の“会費”を組に納める必要があり、時間もお金もない生活でした」
これでは未来がないと1年足らずで組織から逃げ出し、暴走族時代のツテを頼って宝石販売を始めた。宝飾品が人気だった時代、持ち前のコミュニケーション能力で顧客の懐に飛び込むことで売り上げを伸ばし、大金を手にした。夜な夜な高級クラブを訪れてはシャンパンを開け、一晩で100万円以上を浪費する生活を送ったという。
だが、待っていたのは奈落への転落だった。
「欲に目がくらみ、宝石販売で得た知識と経験を悪用して犯罪に手を染めてしまったんです」
結果、恐喝罪で水戸刑務所に4年間服役。刑期を終えた斎藤氏はヤクザの世界に出戻った。だが、そこでもトラブルに巻き込まれ、再び懲役3年の実刑判決を受ける。
「過去に戻れるのであれば、当時の自分に『まずは迷惑をかけた人に謝りに行け』と言いたい。でも、その頃の自分は、人の忠告を素直に受け入れるような人間ではありませんでした……」
出所後、昔のツテをたどって生花業を始めた斎藤氏は、ヤクザに対する世の視線が昔と異なることに気づく。暴力団への取り締まりが一層、厳格になっていた。
「すでに組の幹部になっていましたが、カタギの仕事をしながらヤクザを続けることがしんどくなりました。暴力団に対する美学も感じられなくなり、本気で組を抜けようと心に誓いました」
意を決した斎藤氏は兄貴分にこう申し出た。
「カタギにさせて下さい」
だが無傷で組を抜けさせるほどヤクザは甘くない。斎藤氏は“慣習”に従い、ケジメとして出刃包丁で小指を詰めた。
(後編につづく)
※週刊ポスト2022年2月4日号