ビデオ判定導入の“大先輩”として思うこと
今やプロ野球では微妙な判定に対してビデオ判定を要求する「リクエスト制度」が定着しているが、日本のメジャースポーツで最初にビデオ判定が導入されたのは大相撲で、何と今から50年以上前の1969年のこと。同年3月場所の大鵬対戸田の一番で、当時の立行司・式守伊之助は大鵬に軍配を上げたものの、物言いがついて判定が覆り、大鵬の連勝記録(当時)が45でストップしてしまった。ところが、ニュース映像や写真を見ると明らかに戸田の足が先に出ていたため、相撲協会には抗議の電話が殺到する。それがきっかけとなって次の5月場所からビデオ判定が導入されたのだ。大一番での大誤審が、相撲の審判制度を変えるに至ったのだが、新弟子時代の37代庄之助(当時は木村三治郎を名乗っていた)はこの一番を土俵下で見ていたという。
「それ以降、物言いの協議ではビデオの助けを借りるようになり、コマ送りでどちらの力士が先に早く土俵に落ちたかを判定できるから、取り直しは少なくなったと思います。ですが、相撲の勝敗には『死に体』や『かばい手』『かばい足』という難しい判断も絡む。必ずしも先に手をついたり、足が出たりした力士の負けとは限らない。中にはつり出しで相手を土俵外まで運んだ力士の足が先に出たら『勇み足』と判断されるケースもあったりする。ビデオ判定には利点も多いけれど、もっと人間の目を信じてもいいかもしれない」(37代庄之助)
審判としての権限もなく、軍配を差し違えれば“切腹”とはいかないまでも進退伺を提出しなければならない。あまり知られていないが、行司は土俵上の判定以外にも、土俵祭の祭主、場内放送、番付書き、取組編成会議での書記、巡業での会計などの役割がある。佐々木朗希のようなスター選手をにらみつけ、元名選手の監督にも毅然とした態度で退場処分を下せる野球の審判に比べると、割に合わない役割のようにも思えてしまうが、37代庄之助はこう語る。
「相撲が好きだったからね。行司になってよかったと本当に思ってます。もっと行司に権限が欲しいかって? うーん、あまり権限が強くなると、差し違えた時に本当に切腹しないといけなくなってしまうからなぁ(苦笑)」
勝負を「裁く」立場は同じでも、競技によってそれぞれに悩みと喜びは違うようだ。