政治信条・思想は異なるがアントニオ猪木候補からは、政治家・石原慎太郎を敬慕する気持ちが強く感じられた(撮影:小川裕夫)
銀行税は認められなかったが、その後にアップデートする形で外形標準課税として実現。また、福田康夫政権が導入した地方法人特別税に対しても「子供の財布に手を突っ込むような馬鹿な親」と猛烈に批判。地方の財源を確保するべく、法定外税を取り入れて東京都独自のホテル税(宿泊税)を創設。ホテル税は、大阪府や京都市などが追随するという先駆的な試みになった。
再び国会議員に転じてからは、都知事時代の功績として「東京都の会計制度を単式簿記から複式簿記に切り替えたこと」を繰り返し誇ったりもした。こうした政策を見るにつけ、政治家・石原の真骨頂は内政にあったといえるだろう。
都知事時代から脚を悪くしていたため、選挙戦での石原候補はハシゴをよじ登ることができず、背の高い選挙カーの上に立つことができなかった。それでも都知事を長らく務め、支持者からの人気も高い石原候補は自分の選挙活動を後回しにして他候補の応援で各地を回った。
応援演説の際、ウイング型と呼ばれるタイプの選挙カーが手配されることになっている。ウイング型トラックの選挙カーなら、段差が少なく脚への負荷は少なくて済む。
確認できるだけでも、すでに2011年の都知事選のときには段差の上り下りは身体的にも厳しく、街頭演説では段差の小さな演台が用意されていた。
石原慎太郎を慕ったアントニオ猪木
そんな石原都知事を政治家として敬慕していたのが、同じく2022年に亡くなったアントニオ猪木候補だ。アントニオ猪木候補は、現役プロレスラーのまま1989年から一期、参議院議員を務めた。任期を終えて民間人に転じてからも、プロレスを取り入れた外交活動を展開。対話窓口を開かない北朝鮮とも、友好を深めるために努力を尽くした。
2013年に再び国政へ挑戦するにあたり、アントニオ猪木候補は(旧)日本維新の会から出馬することを選んだ。なぜなら、維新の会に石原慎太郎衆議院議員がいたからだ。保守層から強固な支持を得ている石原議員とアントニオ猪木候補では、思想的にも政策的にも相入れない部分が多い。「戦争してでも拉致被害者を取り戻す」と発言したこともあるほど北朝鮮への強硬姿勢を隠さない石原議員と、たびたび訪朝して交流を継続していたプロレスラー・アントニオ猪木では外交・防衛面での思想に大きな隔たりがある。その二人が、同じ政党に属して政治活動をしていたことは論理的な説明が難しく、ゆえに政治の奥深さを考えさせられる話でもあった。
アントニオ猪木議員は、再び参議院に当選。2014年7月に日本維新の会が分党すると、迷わず石原代表に付き従って次世代の党へと移籍した。アントニオ猪木議員にも当然ながら政治信条はあっただろうが、党派性を感じさせずに個人の力で活動ができる異色の政治家でもあった。