松井秀喜も左投手で代打を送られていた
秋広の先輩である松井はどのようにレギュラーに定着したのか。1993年、長嶋茂雄監督は1年目の松井を5月1日に一軍に昇格させ、ヤクルト戦で「7番・レフト」でデビューさせる。松井は西村龍次からセンターオーバーのプロ入り初ヒットとなる二塁打を打ち、翌日には高津臣吾(現・ヤクルト監督)からプロ入り1号を放った。
「このシーンばかりが伝えられていますが、松井はこの後苦戦しました。5月3日の広島戦では6回のチャンスに代打・西岡良洋、16日の広島戦でも代打の代打で大久保博元(現・巨人打撃コーチ)を送られている。いずれも左投手をぶつけられ、ベンチに下がっています。結局、0割9分1厘と打てないまま、6月に二軍落ちしました。デビューしてすぐに打ちまくったわけではないのです」
松井は、チームの優勝の可能性の薄くなった8月に再び一軍に昇格。22日の横浜戦で2か月ぶりにスタメン出場を果たしたが、そこから6試合で23打数2安打と打てなかった。だが、8月31日の横浜戦で、ゴジラのバットが突然火を噴いた。巨人キラーの左腕・野村弘樹からライトとレフトに2発を放つなど猛打賞。2日後も本塁打を含む4安打を放った。9月12日には初めて3番に座り、11本塁打で1年目を終えた。
2年目は開幕から3番に座り、広島との開幕戦で2本塁打。4月は月間MVPに輝く活躍を見せる。シーズンを通して主に3番を務め、打率2割9分4厘、20本塁打、66打点を挙げて長嶋監督初の日本一に貢献した。
「1993年の巨人は原辰徳に衰えが見え、チーム打率は2割3分8厘でリーグ最下位と打てなかった。翌年はFAで落合博満を中日から獲得しましたが、それでも貧打は解消されず、松井に掛かる負担も大きかった。それに比べれば、今の巨人は4番に岡本和真、5番に中田翔がどっしりと座っている」