だが、国政に出てからも苦労は続いた。自民党では最初に橋本派(現・茂木派)に所属したが、小泉内閣の郵政民営化に反対して公認を得られず、2005年の総選挙は無所属で当選。その後、復党すると旧山崎派(近未来政治研究会)→旧石原派に所属した。
頭角を現わしたのは安倍内閣で国対委員長に就任(2017年)してからだ。当時の二階俊博・幹事長と難しい国会運営を切り回し、菅内閣まで最長の4年2か月国対委員長を務め、野党に太い人脈をつくった。気難しいことで知られる立憲民主党の安住淳・国対委員長が「自民党で唯一話ができるのは森山さん」(政治部記者)といわれる。
立憲民主党の国対ベテランが語る。
「安倍政権は強引な国会運営が多かったが、森山さんは官邸から対決法案を早く通せと言われても、『それでは国会が止まってしまう』と掛け合って審議日程などで野党の言い分を聞き入れてくれた。
野党の国対控え室にもよく御菓子などを差し入れてくれた。そうした野党への気配りは二階さんに学んだのでしょう。二階さんは国対委員長時代、野党幹部の孫の誕生日にプレゼントを贈って喜ばれていたほどですから」
岸田政権になってからも、「国会が揉めた時は森山さんが裏で収拾に動いている」(同前)という。
第2の金丸信
その森山氏は、前回総選挙の後、落選した石原伸晃氏から派閥会長の座を引き継ぎ、森山派会長に就任した。自民党の派閥領袖の1人として自前の勢力を持ったのだ。同派創設者の山崎拓・元自民党副総裁が語る。
「森山さんを会長に推進したのは私だ。自民党には数少なくなった苦労人の叩き上げ政治家で、国民感情、人情の機微がよくわかっている。派閥の議員の面倒もよく見てくれるから、会長は彼がふさわしいと思った。政治家としての実力もある。岸田内閣は不祥事が続き、公明党との関係もギクシャクするなど、政権運営がうまくいかないことが目立つが、森山さんがそれをカバーしている。国会運営でも、選挙対策でも、今や自民党になくてはならない政治家だ」
森山派は所属議員8人の党内最小派閥ながら、森山氏は数だけでは計れない強力な政治力を持った。それを物語るのが、昨年3月、「自民党建設族のドン」が座るポストとして知られる、全国治水砂防協会の会長に就任したことだ。