志村さん(左)とは師弟関係を超える深い仲
コロナ禍では、「竜シェフ」として台所に立ち、手料理を振る舞うこともあった。得意料理は、生姜焼きと炒飯。
「家で料理をするような人じゃなかったから、『やってみる』と言い出したときは驚きました。コロナ禍で仕事が減って、働いていない罪悪感みたいなものがあったんでしょうね。『世の中のみんなが自粛でお休みしているから気にしなくていいんだよ』と伝えたんですけど、『いや、やってみる』って。
不器用な人だと思っていたのに、いざ料理をしてみると意外と器用なんです。小さなフライパンに少ない油で上手に天ぷらを揚げたりして、こんな一面があったのかと驚きました。食後に『今日のお料理はおいくらですか?』って私が聞くと、『ヒーチャン(広川のこと)が口うるさかったから10万円です』とか言うんです(笑い)。そういう会話が楽しかったですね」
上島さんが急逝してから広川は、相続などの手続きに追われた。生前の上島さんは「自分の財産は全部ヒーチャンに渡したい」と言っていたが、遺言書がなかったため、法律に則り、上島さんの遺産は姑と分けることになった。
「竜ちゃんの最後の親孝行になってよかったと思う一方で、彼の飲み代で月に100万円前後の出費が続いていて、預金は恥ずかしいほどの金額しかありませんでした。もう少し残してくれていたら……とか、せめて子供がいたら……と考えたこともありました」
上島さんは結婚当初から「子供はいらない」と宣言していた。はっきりと理由を説明されたわけではないが、広川は「考え込んじゃう性格だから、子供の未来まで背負えなかったんだと思います」と推察する。
がんを宣告されていた
すぐに生活に困るわけではないが、遺産だけで食いつなぐことは不可能。その上、金銭面で新たな悩みが降りかかってきた。生命保険が下りない可能性があるのだという。
「いわゆる金銭目的ではない亡くなり方なら、保険金が下りる可能性があるので、保険会社と話し合いを続けています。ここまで長期になったのは、私が入院・手術することになり、交渉が止まってしまったことも原因で」
実は上島さんが亡くなって約3か月後、広川は乳がんを宣告された。胸のしこりが気になって病院に行ったところ、ステージ1の浸潤性の乳がんと判明したのだ。
「本当に参りました。きっと前世の私はかなりの悪党だったんでしょう。誰を恨むこともできないので、もはや前世の自分に罪をかぶせるしかないんです(笑い)」
幸い手術は成功し、入院を経て治療終了を告げられた。そんな激動の1年を経て、人生観にも変化があったという。
「自分で触ってしこりを見つけることのできる乳がんだったので、早く気づけました。これはもうラッキーですよ。竜ちゃんがいないことと比べたら、私のがんなんて小さなこと! 『住むところがあって、母がいて、愛犬がいて、それだけでありがたい』と感じるようになりました」
