玉ノ井親方。元大関・栃東(撮影/太田真三)
大関時代は大横綱・貴乃花の現役終盤と重なる。
「貴乃花関は巡業での稽古を自分の“負けるイメージ”の確認のために活用した。本場所では稽古と逆の動きをして相手を転がせた。それぐらい勝ちにこだわった。若乃花関は土俵に上がらない時も相手の動きを分析して自分の相撲をイメージするなど、綱取りを果たした大関はやっていることが全く違った」
強い横綱が君臨していた時代も大変だが、今の戦国時代はさらに過酷だと玉ノ井親方は言う。
「後半は下位力士も含めた星の潰し合いとなる。大関同士なら手の内もわかるし負けても仕方がない面はあるが、下位力士に負けるわけにはいきません。大変なプレッシャーの中で後半戦を戦わなければいけないのです。相手も優勝のチャンスがあるため研究してくるし、そう簡単には勝てない」
照ノ富士のひとり横綱という番付の中で綱取りに挑む霧島は昇進なるか。
「序盤で自分の相撲を取り切れば、中盤、終盤はもっといい相撲になる。弱点は押されると脆いところ。それを打破するには廻しを掴んで自分の相撲を取るしかない。ひとつきっかけを掴めば、自分の相撲が取れるタイプの力士ですからチャンスはあると思う」
苦難に打ち克って昇進した横綱たち
・貴乃花 1994年9月場所 15勝(優勝) 1994年11月場所 15勝(優勝)
大関昇進2場所目に優勝したが、翌場所は曙との優勝決定巴戦で完敗。綱取りはお預けに。その後2度の優勝を飾ったが6度の綱取りに失敗。7度目で2場所連続全勝優勝を決めて綱取りを果たした。
貴乃花は大関昇進2場所目に優勝したが、翌場所は曙との優勝決定巴戦で完敗。綱取りはお預けに。その後2度の優勝を飾ったが6度の綱取りに失敗(写真/共同通信社)
7度目で2場所連続全勝優勝を決めて綱取りを果たした(時事通信フォト)
・隆の里 1983年5月場所 13勝2敗(準優勝) 1983年7月場所 14勝1敗(優勝)
稀勢の里の師匠のガチンコ横綱。糖尿病に苦しみ、初土俵から82場所、29歳3か月で大関となるスロー出世だったが、大関9場所目で横綱昇進。『おしん横綱』と呼ばれた。