昭和や平成初期の曲を並べれば、“世帯”の数字は上がる
世帯視聴率ベスト10に入った歌手の歌唱曲をリリース年順に並べてみよう(複数曲を歌った場合、歌唱中の最高視聴率到達曲は基本的に1つだが、ここでは全て列挙する)。
【1970年代/4曲】
1975年 伊藤蘭『年下の男の子』、『ハートのエースが出てこない』
1976年 伊藤蘭『春一番』
1977年 石川さゆり『津軽海峡・冬景色』
【1980年代/3曲】
1981年 寺尾聡『ルビーの指環』、薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』
1989年 YOSHIKI『ENDLESS RAIN』
【1990年代/6曲】
1993年 藤井フミヤ『TRUE LOVE』
1994年 YOSHIKI『Rusty Nail』
1995年 福山雅治『HELLO』
1996年 藤井フミヤ×有吉弘行『白い雲のように』、ポケットビスケッツ『YELLOW YELLOW HAPPY』
1998年 ブラックビスケッツ『Timing』
【2000年以降/6曲】
2018年 MISIA『アイノカタチ』
2023年 MISIA『愛をありがとう』『傷だらけの王者』、YOASOBI『アイドル』、Ado『唱』、福山雅治『想望』
20世紀の曲が13曲、21世紀の曲は6曲だった。NHKは“世帯視聴率”の狙い方を心得ている。昭和や平成初期の曲を並べれば、“世帯”の数字は上がるのだ。つまり、“史上最低”を免れたければ、“世帯だけ”に目を向けて、50歳以上の好む歌手ばかりを出演させればいい。しかし、そうすれば“国民的番組”の称号は外れる。今以上に若者のテレビ離れが進み、紅白の未来はなくなるだろう。だから、上辺だけの“世帯視聴率”だけを狙う作戦は取らなかったと考えられる。
今回の紅白には旧ジャニーズ事務所(現・スタートエンターテイメント)のグループが1組も出場しなかった。配信など視聴方法の多様化も年々進んでいる。世帯視聴率が下がると誰もが予想できる中でも、守りに入らず、前年比で1部は2.2%減の29.0%、2部は3.4%減の31.9%に留めたと評価することもできる。
NHK稲葉会長は、視聴率が「全てを表しているわけではない」と話した。より正確に言えば、“世帯視聴率が全てを表しているわけではない”のだ。昭和と比べて人口構造が変化し、趣味嗜好も多様化している。その中で、31.9%を獲った紅白はもっと称えられていい。そして、過去の“世帯視聴率”との比較で、“史上最低”と評価するのはやめるべき時に来ている。
■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では1980年代、なぜ『紅白歌合戦』の視聴率が下落していったかを詳細なデータに基づいて分析。1988年、田原が出場者発表後に紅白を辞退した背景も丹念に綴った。巻末付録では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)の視聴率やテレビ欄の文言、番組内容なども掲載している。