『香淳皇后実録』(写真/共同通信社)
“外された”と思っていた
香淳皇后と美智子さまといえば、皇太子時代の上皇と美智子さまの結婚に香淳皇后が反対したエピソードが知られている。1990年に昭和天皇の元侍従長が著わした『入江相政日記』でそれが明かされている。
同日記の1958年10月11日付には〈東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様(秩父宮妃)と喜久君様(高松宮妃)を招んでお訴へになつた由〉との記述がある。旧皇族、旧華族出身でない美智子さまが皇室入りすることに疑念を抱いていたようだ。
しかし、今回の実録には該当する記述が見当たらない。前出・河西氏はこう指摘する。
「入江日記にもあり、当時公然の事実とされていたことが抜け落ちていると、あえて削除したと見えても仕方がないと思います。宮内庁がご存命の美智子さまに対して配慮したのではないか」
なぜ『入江相政日記』の内容が実録に記載されていないのかを宮内庁に聞くと、「『入江相政日記』の当該記事は、他人からの伝聞によって記されているため、皇后の御発言であるか確定できないため」(総務課報道室)とした。
実際に、民間出身である美智子さまの皇室入りに香淳皇后が反対していたのかについて、瀬畑氏はこう言う。
「当時の記録を見ると、香淳皇后やその関係者はお妃選びから“外された”と思っており、現に当時の東宮大夫や宮内庁長官など一部の人間だけで決められたようです。旧皇族・華族を含めて候補を探した結果、美智子さまに焦点が当たった。限られた範囲でしか人付き合いをしなかった香淳皇后からすると、自分が知らない世界からの皇室入りに疑念を抱いたのかもしれません」